Microsoftにいけばイノベーティブになれるなんて幻想だよ
エジケンのニッポンIT業界絶望論
を読んで。
まあエジケンの気持ちは良く分かるのです。
けど敢えて言わせて貰いたい。「そこにユートピアなんかないよ」と。
僕はMSKKではなくMicrosoft Corp(HQと呼ばれる)の嘱託だったので、会社の構造ややり方というのはエジケンの言う「イノベーションを起こしている」方の企業だったと思うのですが、別にそこの現場にもイノベーションなんかありはしません。
イノベーションのイノベーションたる所以というのは、革新的であるということ、画期的であるということ。そんなのね、社員数万人の大組織でおいそれとできるわけがないでしょう。
ISIFのイノベーションテストで「マイクロソフトやGoogleが高得点をとれるようにしないとイノベーションが正当に評価できているとは言えない」とかいう議論が沸き上がったときにもね、凄い違和感なわけですよ。マイクロソフトの社内の人間で「俺は毎日イノベーションやっててマジで幸せだぜ!」なんて言ってる奴は一人も知らない。デスマーチに怯え、ナイトリービルドとバグレポに戦々恐々としている毎日ですよ。そんなの世界中どこにいたってなにも変わらない。
マイクロソフトで真にイノベーションを起こせる人がいるとしたら、それはウィリアム・ゲイツ三世とその寵愛を受けた数少ない腹心ですよ。合計5人くらい。どんなに多く見積もっても10人いたら大事件。それが会社というものですよ。
だけど、誰かがイノベーションを起こしているぶんだけ、同じデスマーチでも報われるかも知れません。庵野秀明監督が旧エヴァを作った際、締め切りも延びず、予算も付かず、泣きながら壁に頭を打ち付けて「チクショウ、チクショウ、チクショウ」と呟き、それでも給料が出ないながらも、スタッフに返せるモノは、「いい作品を作ったという事実」だけだと踏ん張り、史上最大の問題作を作り上げた。そのときの作画スタッフの一人は同級生ですが、「辛くて苦しいけど俺は幸せだった」と言っていました。確かにそういう「イノベーションへの参加」方法もある。
しかし仮に本当にそんな程度のものでよければ、エジケン、なぜ君は大企業に転職しないのだ?
本当はそんなユートピアなんかそこにはないと知って居るんだろうと思う。どう考えても、エジケンはMicrosoftに居るよりもインフォテリアUSAに居る方がずっと幸せだと思う。イノベーションを自分の手で起こすためには、なによりも自由である必要があるからだ。
本当にイノベーションを起こしたいなら、場所や環境に拘ってる時点でなにかおかしい。
本当にイノベーションを起こせる人は、それがマイクロソフトだろうがGoogleだろうが、インフォテリアだろうが津山高専だろうが、起こせるのだ。否、起こさずにいられないのだ。
「イノベーションを起こしたい」と口にする人は沢山います。けれども本当にそれができる人は、そんなことを言わないでしょう。常にイノベーションを起こしているのだから。
布留川英一はケータイに誰も見向きもしない頃、Javaの実装系すら存在しない頃に世界で初めてKVMのゲームを書きました。もちろんエミュレータ上で。そして一生困らないくらいの富を築き、現在はまた誰も見向きもしないロボットの高級プログラミングを研究し、ビル・ゲイツから存在を認知されるまでになりました。
西田友是先生もまた、CGに誰も見向きもしない頃、ディスプレイすらまだ発明されてない頃にパンチカードとXYプロッタで図形を描画し、卒業論文を書き、世界的権威となり、CGの世界でノーベル賞と言われるクーンズ賞を受賞しました。今は西田賞というものまであるそうな。
こういう人たちが「イノベーティブ」とか「イノベーション」とか、またはそれに相当する日本語を使っているところを、僕は一度もみたことがありません。
彼らが使う言葉で強いてそれに相当するものを挙げれば、「面白い」「凄い」「画期的」でしょう。しかし絶対に「画期的な研究をしたい」なんてマヌケなことは言いません。褒め言葉にしか使わない。コメディアンが自分のことを自分で面白いと言わないのと同じことです。
「君のそのアイデアは画期的だと思うね」
Microsoftで仕事をしていた頃、本当にイノベーションに関わる人は誰一人いませんでした。正直言うと、むしろ僕はそれに驚きました。その後また別のシアトルのベンチャー企業に入ったときの僕の同僚は、Windows Messengerのプログラマでした。彼はこう言いました。
「Microsoft ICQを作れって言われたのさ」
誰かがイノベーティブになりたいけど、なれないことがあるとしたら、その理由はただひとつ。才能がないんです。そうとしか言いようがない。だって西田先生は同級生に「あいつ絵なんか書いて卒業するつもりだぜ」と馬鹿にされながらもCGの研究を続け、布留川君だって「ケータイなんかでゲームが流行るわけないだろう」という世間の冷たい風を押し切って研究を重ねた結果、イノベーションが起きているわけで、彼らは環境に文句を言う前にとっとと辞めて自分にとってもっと居心地の良い場所に行きますよ。
自分にとってどうすれば居心地が良いのかわからないとか、どうすればイノベーションを起こせるのかわからないという人は、それがSIerだろうがマイクロソフトだろうがNASAだろうが、やる仕事の内容は一緒です。ラインに配属されて、日々楽しく過ごしながら、発明とは遠い日々を送るだけ。
でも就職に失敗したアインシュタインでさえも、特許事務所でバイトしながら相対性理論を書き上げたわけで、やっぱそれは環境の問題じゃない。自分の問題だと思う。
僕はイノベーティブな人が好きだから、そういう人を集めて会社を作ったつもりだけど、それでも僕にとって僕の会社は僕の理想とする発明品のひとつであって、それは「万能科学びっくり箱」とでも言うような、継続的に新しくへんてこなものがどんどん生み出され、それでも飯が食えていける、100年、1000年と続いていけるというものです。
布留川君を初めとする社員たちと僕とは、いわば共生関係にあって、僕が僕の発明品であるUEIという万能科学びっくり箱を作り、そのびっくり箱の中で自分の研究をひたすら続ける布留川君のような人たちが何人かいて、そのサポートをするスタッフがいる、と。
スタッフの人たちはイノベーションを起こすのが仕事ではないから、別にイノベーティブでなくてもUEIには就職できます。だからうちみたいなおかしなベンチャー企業の社員であっても、別に全員がイノベーティブであるわけでもないわけです。で、僕はそれがおかしいとも残念とも思いません。でもこれって結局SIerの構図と一緒でしょう。誰かが発明して、それをマネタイズする。発明そのものはお金を産まないから、誰かがマネタイズしないといけない。
こうした構造は、やっぱり変わらない。規模の大小でいっても、SIerとさほど変わらないと思います。アメリカでベンチャー企業をつくったときも、僕が考えて、誰かが作る。開発とラインの考え方は変わらなくて、それはもう向き不向きの問題なので、場所が変わろうがなにをしようが、ラインはラインでしょう。
エジケンはSIerがイノベーティブではないというけれど、競争があるところには必ずイノベーションを必要とするので、そういう戦略的意志決定の部分とかにポジションがあれば、充分イノベーティブな気持ちになれたのだと思います。けど、現場にいって要件きいて落とし込むっていうのは、ラインの仕事ですよ。そこと実際に製品開発をするチームを比較したら、どこだって一緒のはず。
もともとイノベーションを起こせない人は、自分自身が変わらない限り、イノベーティブな人間にはなれないと思うんだがなあ。
自らの嗜好としてイノベーティブな人の割合だけでいえば、日本とアメリカではそう変わらないと思いますが、単純に言語の問題で英語で書かれた文献の方が人口比から言っても圧倒的に多いですから、そういうものを普段から読む人でないと車輪の再発明すらできないというのがこの世の中のような気がします。