深セン再び
今回の研修の最大の目的は、うちの連中に本物の深センを見せることでした。
深センとは、世界最大と思われる電気街。場所は中国大陸にありますが、香港から電車で行けます。
前回僕が初めて行ったときの衝撃は以前のブログに書きました(これ)
こんな立派な建物が電気屋だとは誰も思わないでしょう。
そしてこんな立派な建物なのに、中に入ると
さながら秋葉原ラジオデパートのような感じです。
しかも、メチャクチャ活気があるんです。
街に出ると大量の、人、人、人
休日の渋谷のように大量に人が居ます。
このひとたちがみんな電気製品を買いに来たか、電機産業に従事していると考えると凄まじいものがあります。
生粋のネイティブ秋葉ッ子である水野君は「世界にこんな場所があったとは・・・」と衝撃を受けていました。
その一方で、道ばたで蹲って物乞いをする人、ぼーっと立ってると凄い勢いで近づいてきてインチキな商品を売りつけようとする人、などなど。
この街の原動力はなんなのだろう?
半年前に初めてここを訪れたときにはあまりのパワーに圧倒されてわからなかったのですが、今回再びここを訪れてみて、この街の原動力というのは、きっと「貧しさ」なのだと思いました。
貧しさから脱却したい。
そのために必死で働く。手段を選ばず金を稼ぐ。
その方法は、道ばたで貧困をアピールして物乞いするとか、店で出自が怪しかったり、インチキだったりする商品を売るとか、やり方は様々だけれども、とにかく脱却したい。そういう強い意志を感じました。
半年前にビルの奥の方で4GBと書いてあるのに128MBしか入らないインチキなUSBメモリを売っていた姉妹をまた同じ場所で見つけました。
もうとにかく商魂逞しい。彼らを見ていると学芸会を見ているようで実に微笑ましいのですが、このやり方で半年も生活できるって凄いと思います。
今回も同行してくださったケータイ研究家の山根さん
によれば、そもそも深センは問屋街で、客として来るのは観光客ではなくプロばかり。従って本気であのインチキな商品に騙される客はいないはずとのことでした。
だとすれば解っていて大量にインチキ商品を買ってどこかで売りさばいている人が居るんでしょうか。
そんなことも特に珍しくないのがこの街の凄いところです。
これを見ると「もう日本はこの時代には永久に戻れないだろうな」という気分になります。
それでも「これだけの人が電気に関わって居るんだから、もっとなにかできるかもしれない」と勇気を貰うのです。
とても疲れたけど、また来て良かった。みんなにこの光景を見せることが出来て良かったと思います。
香港研修
昨夜、香港に来ました。
今回のホテルは香港の繁華街にあって、眺めは最高!
部屋もデザイナーズホテルらしく素晴らしいセンスで統一されています。
でも隣に寝ているのは布留川君
というわけで、UEIの幹部連中をごっそり香港まで連れてきました。随行者は水野くん、布留川君、そしてシン石丸
今年はいろいろな国に行きました。
オーストリアの田舎町からパリ、ロンドン、サンフランシスコまで。
そのなかでも特に一番衝撃を受けたのは、香港と中国の深センでした。
秋葉原を上回る電気街。そしてなにより秋葉原では既に廃墟と化しているラジオデパートのような建物が数倍の規模となり、無数の人々でひしめいている様は本当に衝撃的でした。
これは歴史の重大な局面かもしれない・・・・と思った僕は、写真をどんどん撮ったのですが、写真が撮影できない場所や写真では伝わらない場面があまりにも多く、勢い余って「おまえらこれ見て見ろよ!」とばかりに連れてきてしまいました。
前回深センに行ってからまだ半年しか経っていませんが、どのくらい変貌したのかとても興味があります。
そして最近話題のマカオにも少し行ってみたいと思います。ラスベガスを超えたと言われ、ラスベガスの一流ホテルが次々と出店を計画しているらしいということで、こちらも興味があります。
僕はギャンブルはやらないのですが、ラスベガスはエンターテインメントの街としてとても好きです。マカオがそれに追いつけ追い越せのスピードで発展しているとすれば、見ないわけには行きません。
百聞は一見にしかず。
出張の模様はshi3zの電脳ライフで随時アップロードしていきます。
電脳ホワイトボードに待望のUndo機能搭載
会社に来て、来客まで時間があるので出社したついでに要望の多かったUndo機能を電脳ホワイトボード
に実装しました。
とりあえず無限Undoになっています。メモリガンガン使うのはご愛嬌。富豪的?
あと、ペンモードを標準にしました。
また、電脳ホワイトボードはたとえばhttp://onosendai.jp/whiteboard/?url=のあとにURLを続けて書くと、そのURLの示すページや画像を編集することができます。
あきば電脳ライフの方はこのやり方でTwitterや電脳ライフで投稿された他の書き込みに対してラクガキできるようになりました。
最近買ったものを唐突にレビュー
凄い早く寝たらすごい早く起きてしまって暇なので、最近買ったものを唐突にレビューします
超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか HDリマスター版 メモリアルボックス (初回限定生産)
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2007/12/21
- メディア: DVD
自棄になって見しらぬ男とラブホテルに行ってしまうあたりの描写がいかにも赤川次郎。そのオチも含めて。赤川次郎作品の実写化という意味では不朽の作品かもしれません。
アクションシーンの迫力があります。とにかくこの作品は逃げる、逃げる、逃げ続ける。逃げながら謎を追う。この緊張感は現代版インディ・ジョーンズと呼ばれるのも頷けます。ニコラス・ケイジの顔はイマイチだけど、大好きな作品。
ダイ・ハード4.0 (特別編/初回生産分限定特典ディスク付き・2枚組)
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2007/11/07
- メディア: DVD
NO MORE HEROES(ノー・モア・ヒーローズ) 特典 メタル“ビーム・カタナ”アクセサリー付き
- 出版社/メーカー: マーベラスエンターテイメント
- 発売日: 2007/12/06
- メディア: ビデオゲーム
主人公の目的は「シティで一番の殺し屋になって、仲介屋の女の子に一回だけやらせてもらう」こと。
クライシス コア -ファイナルファンタジーVII-(通常版)
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2007/09/13
- メディア: ビデオゲーム
EVERY EXTEND EXTRA エブリ エクステンド エクストラ
- 出版社/メーカー: バンダイ
- 発売日: 2006/08/03
- メディア: ビデオゲーム
惜しいのは、もっとたくさんスキンが入ってないのかっていうことと、いつまでたっても「恋のマイアヒ」が出てこないっていうこと。この手の音楽パズルはネット配信が前提にないとせっかくのポテンシャルが生かしきれないと思います。もったいない!
仮想世界あれこれ
クリスマスイブだというのに200超のブックマークをいただいて、はてなユーザの生活を垣間見た思いですが、まあクリスマスの夜だというのにブログなんか書いてる僕も50歩100歩です。
メタヴァースもの、というのはもちろんセカンドライフが初めてではありません。
最も有名な例は1986年にジョージ・ルーカス率いるルーカスフィルム・ゲームズ社がβテストを行ったハビタットというサービスです。
ハビタットは最初期のサービスでありながらとんでもなく高い自由度を誇っていました。
ハビタットの機能・特徴は以下の通りです
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アバターと呼ばれるプレイヤーの分身を操作して仮想世界を歩く
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アバターの顔や服は仮想世界で販売されている
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リージョンと呼ばれる領域に別れ、複数のリージョンによって世界が作られる
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トークンとよばれる通貨があり、仕事をすることでトークンがもらえる
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プレイヤーが勝手に会社を作ったり、政府を作ったりすることができる
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「オラクルの噴水」でお祈りすると、システム管理者とチャットできる
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テレポーテーションは街中にある電話ボックス型のテレポテーションボックスを使うとできる
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アバターは殺されることがある。殺されると自分のアパートにテレポートする
この時点でセカンドライフとかなり共通する機能を持っていたことに改めて驚きます。
ハビタットについて書かれた論文を読むと、今でも通用しそうないくつかの教訓を得られたことがわかります。
ハビタットの社会を分析したこちらの論文も面白いです。初めてハビタットの神(プログラマー兼システムオペレーター)となった人がまとめたハビタットの伝説(日本語訳)
この論文はとても示唆に富んでいます。いわく、ハビタットには全体の半数を占める「受動者」と、それに次いで多い「能動者」、さらに会社をつくったりイベントを仕掛けたりする「先導者」、初心者を救済しシステムの穴を人力で埋める「介護者」、そしてシスオペたる「神」の五段階のユーザが居た、ということです。
ハビタットの利用料は1分につき約10円(8セント)でしたが、ヘビーユーザにとってこれは衝撃的なくらい高いコストになっていたようです。それはそうでしょうね。
ヘビーユーザは一ヶ月に1000ドル(10万円以上!)も接続料を払ったのだという。しかしこんなモデルはうまくいくはずがなかったわけです。
ハビタットは全てのネットワークゲームの祖とも呼べるくらい、さまざまな要素の絡んだ素晴らしい実験であったと言えます。「アバター」という言葉などはハビタットによって初めてもたらされたと言ってよいでしょう。
ハビタットの時代は、シスオペがかなり仮想世界の構成や構築に関して積極的に関与し、ユーザとの対話からシステムを動的に変化させていくことが重要な役割を果たしていたように見えます。これも最近のWebサービスにおける「開発者ブログ」や「開発者とのコミュニケーション」というものに近いものだと言えるでしょう。
ハビタットはあまりにも凄すぎて、その後何年も追従するサービスは現れませんでしたが、インターネットの世界になると同時期くらいに、Sonyが開発したCommunityPlaceという仮想空間エンジンをもとに仮想空間サービスがいくつか作られました。
これはVRMLという、仮想空間記述言語(HTMLに相当する)をベースにした技術で、HTMLを書くのと同じようにVRMLを書くと、仮想世界上の物体を定義できるというきわめて野心的なものでした。
僕もCommunityPlaceのユーザでしたが、根本的にマシンスペックに対してびっくりするくらい動作が重いのが最大の弱点でした。また、通信速度も全く足りていませんでした。当時は14.4Kbpsくらいのモデムが最先端でしたが、とても足りませんね。
ただ、ユーザがプログラムした3Dオブジェクトを交換するという試みは当時とても珍しいものに感じました。
セカンドライフに通じる部分です。
このCommunityPlaceも、Sony自体もどうすればいいのかもてあましているように見えたのですが、結局「ちょっと変わったチャットサービス」ということで落ち着いてしまったのは実に残念です。
Ultima Onlineは仮想世界として世界で始めて成功したビジネスです。
1997年からスタートし、MMORPGが無数に乱立する現在でも高い人気を誇る普及の名サービスと言えます。
UOは世界のみならず、社会、生態系までもの再現を行おうと試みられています。
プレイヤーは家を建てたり、船を買ったりすることができ、家を建てるのがプレイヤーのひとつの目標となることや、町の外には危険があったり、街中でも殺人犯やスリといった悪徳プレイヤーにだまされたりといったことが再現されているのですが、特徴的なのは運営側が「悪徳プレイヤーの存在もまたゲーム性である」と明言していたことです(今現在はどうなったのか知りません)。
UOの提供するゲーム性と自由度は極めて高いレベルにあり、しかもあくまでも基本は「ゲーム」であるというところに軸足が置かれているため、単に仮想社会であるだけでなく、ユーザが楽しめるような道しるべやイベントといったものがシステム側主体で用意されたりします。
そのあたりが、あくまで運営側がシステムの開発と維持に徹して、イベントごとは全てユーザに委ねるメタヴァース的世界観とMMORPGとの一番大きな違いであると言えます。
メタヴァース的システムがなぜ積極的にユーザをもてなさないかというと、これはツールとエンターテインメントの違いであるとも言えます。
ツールとは、ワードプロセッサやWWWブラウザのようなもので、エンターテインメントは映画やゲームであると言えます。
エンターテインメントには必ず臨界点があります。
どんなに凄いソフトでもスーパーマリオの販売本数は1億本です。
これは凄く稀な例で、ふつうはどんなに売れても100万本くらいです。
これは「面白い」と思うものが本質的に人によって異なるからです。
みんなが普遍的なテーマを扱おうとしますが、普遍的な感動というのはなかなか存在しないのです。
どれだけ「セカチューが泣ける」と聞いても、「おれは別にわざわざ映画を見て泣きたいとは思わない」という人は永久に見ないのです。どれだけ「銀河ヒッチハイクガイド」が名作であると力説しても、東浩紀さんは「どうせ読まないからオチだけ教えてくれ」と言ってくるのです。本職の批評家ですらそうなのだから、単一のエンターテインメントで全米が泣くことなんか有り得ない。
逆に言えばエンターテインメントは臨界点があるから零細企業や新興企業の入り込む余地があると言えます。
またエンターテインメントは一過性のものです。どんな名作でも、終わってしまいます。終わらない名作というのはエンターテインメントには有り得ないわけです。ふつう、作者が死んでしまえば続きは作られることはありません。凄い例外はドラえもんやサザエさんなどの長寿アニメです。しかし作者が死んでなお、生前の作者がつくったのと同程度の新作をつくることは困難です。
エンターテインメントには需要があるからこそ、人々はエンターテインメントを消費でき、クリエイターは新作を作り続けることができるのです。
しかしツールにはそうした臨界点はありません。
誰もがワードプロセッサを使い、誰もが当然のようにWWWブラウザを使っています。
ツールは人類全てが使うことになってもおかしくないわけです。
車輪を使わない人類はもうほとんど居ないと思います。
車輪というツールに臨界点がないことの証左でしょう。
しかし人形浄瑠璃を楽しまない日本人は山ほど居ます。そういう僕も見たことがありません。
セカンドライフはツールとしてのメタヴァースを目指し、UltimaOnlineはエンターテインメントとしての仮想世界を実現した、と言えるでしょう。
どっちがよりビジネス的に大きいかといえば明らかに前者なわけですが、実際にビジネスとして大きくなる前にいろいろなことが先走ってしまった感は否めません。いまのところ、実際にビジネスとして存続しているのはUOなのです。
セカンドライフがツールとして不十分なのは、どうも根本的なビジネスモデルにあるような気がします。
たとえば、HTTPのようにメタヴァースのプロトコルが定められて、誰でもサーバを設置できて世界を相互接続できるような仕組みがあれば、そっちのほうが遥かに低コストでツールとして流行りそうな気がするのです。
WWWが普及した背景にも、サーバは誰でも設置できた、ということが大きいと思います。
それがアメーバのように相互接続され、結果として世界に広がっていったわけです。
今のインターネットは一企業が全ての世界を管理することは不可能に近くなっており、世界全体を管理しようとするとそのことが逆に臨界点を生じさせてしまっています。
それよりは世界は解放されている前提で、世界を探るための道しるべを提供する、たとえばGoogleやYahooがそうしているように、またはInterNICがそうしているように、メタヴァース的なサービスを誰もがホストできるようにして、そのインデックスだけをランデンラボが管理するようにすれば、サーバの運営コストは外部に吸収され、リンデンラボはメタヴァース的ソフトウェアの改良だけに注力できたのかもしれません。
ビジネスのあり方を二種類に分けるとすると、ひとつはエンドユーザから直接お金をいただく方法、もうひとつは他の会社がエンドユーザからお金をいだたけるようにする方法があると思います。
たとえばコンテンツを作って有料課金するのは前者、コンテンツ管理システムを作ってコンテンツプロバイダに提供したり、無料コンテンツを作って広告収入を得たりするのは後者です。
言うまでも泣く、UltimaOnlineは前者で、セカンドライフは後者です。
しかしYahooも後者で、Googleも後者であることを考えると、セカンドライフは仮想世界における後者モデルの最初の勝利者となれる可能性は十分に秘めていたと思います。
あとは技術的な問題。とりわけ、外部の開発者に対する教育や指導にあまり熱心だったように思えず、見た目や装飾についての部分だけとても熱心だったように感じます。
僕はゲーム機向けソフトウェアプラットフォームやミドルウェアというものを何年も商売にしているので痛感しているのですが、ソフトウェアの開発者というのは、ハードルが低いことよりも、それに人生の貴重な時間を使って学習する値打ちがあるかということを第一優先に考えるわけです。ミドルウェアは本来、開発者の学習時間を短くするために使うはずですが、開発者にしてみれば、ミドルウェアの使い方を学習するということも貴重な時間の使い方のひとつですし、そのミドルウェアや思想に将来性がなければ、いとも簡単に見捨ててしまいます。
FlashでつくるかAjax(javascript)で作るかという議論をよくしているのですが、適材適所という言葉があるように、Flashで作るべきところとAjaxで作るべきところはきちんと分けなければいけません。しかし、僕個人の考えでは、ほとんどの場合はFlashで作ったほうがより高度なものが作れるとおもっていますし、それを勉強するための時間は決して無駄にはならない(特にActionScript3.0に関しては)と思っています。
技術にも旬があり、ハビタットの頃の常時接続、CommunityPlaceの頃の3Dというのは明らかに早すぎました。何年もの間無視されていたAjaxがGoogleMapで花開いたように、技術というのは根本がしっかりしていれば何度でも再評価されます。
うーん、だとしてもLSLはイケてない。LSLを極めるのに人生の貴重な時間を使おうとはやっぱりまだ思えません。ActionScript1.0の頃のFlashみたいなものです。このままでは駄目なはずで、そのときかなり大幅なパラダイムシフトが必要で、そのときこそ再評価されるだろうということです。
セカンドライフの失敗から学ぶべきいくつかのこと
さすがにそろそろ公然と「セカンドライフは失敗したね」と言っても世間様に受け入れていただけそうな空気になってきたので、思っていたことをぐだぐだ書いてみたいと思います。カウボーイ大会の興奮が凄すぎてまだ眠れないので
半年くらい前、国内でのセカンドライフは完全にバブル状態だったのですが、誰もがこれがバブルだと認識しつつ敢えて踊らされる側に回った、というのがとても印象的でした。知人のセカンドライフビジネス関係者で本気でセカンドライフをやっていこうとしているのは1割もいませんでしたし、みんな心のどこかで「まあこんなの今だけだし」と思っていた点は否めません。
セカンドライフはCTOが解雇されるなど、完璧にグダグダなモードに入っています。それにしても、あまりにも早い幕引きだったなと思います。Web2.0はまだ成長途上にあるともいえますが、その先にあると期待されていたメタヴァース(セカンドライフ的なシステムすべて)があっさりと失速してしまったのは印象的です。
既にさまざまなところでセカンドライフの「失敗」について議論がなされていますが、僕が個人的に前々から思っていたことをまとめ、「ではセカンドライフ的なものはどうすれば成功するのか」考える糸口にしたいと思います。
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サーバの処理能力が低すぎた→同時ログイン20人は21世紀のサービスとしてどうか
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ビジネスモデルが未熟過ぎた→良い面もあったが、悪い面も多かった
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システムの自由度が低すぎた→LSLは本質的になんでもできそうでなにもできなかった
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急速に普及させすぎた→ブームをしかけるタイミングを誤った
1と3はいいとして、まず問題なのはビジネスモデルだったのではないかと思います。
ユーザがお金を払って、ユーザ同士が架空世界でお金をやりとりする。
このアイデアそのものはすばらしいものですし、セカンドライフ以後も、同様または同等のビジネス形態は発展していってほしいと思わせるだけの魅力のあるプランです。
しかし、ユーザが価値(この場合リンデンドルという仮想貨幣)を交換するということは、セカンドライフそのものがお金を生むためには、ユーザにどんどんリンデンドルを買わせなければいけません。
売り手のユーザは自分専用の土地を維持したり、テクスチャをアップロードしたりするたびにお金がかかりますが、それ以外の価値はユーザ自ら価値創造して提供します。
ここにいくつかいびつな点があったことは否めません。
当初セカンドライフは家を持ったり、店を開いたりといったことでユーザが現実の収益を上げるようなイメージだったと思うのですが、だんだんとサービス業のような職種が生まれたり、発展していくにつれて、物販そのものでは実はなかなか(リンデンラボが)お金は取れないという現実に直面します。
そこで土地代として、サーバホスティング料を作り手のユーザから徴収するのです。このモデルはASPとして考えるとうまくいきそうな気がします。しかし絶対的にサーバの処理性能が低すぎるので、一日に売れるアイテムの数も限度があります。
さらに、LSLという独自スクリプト言語です。
この言語に関して言いたいことは山ほどありますが、とにかくできることが少ないということに尽きます。
たとえば車や飛行機を簡単に作れるのはいいのですが、車のようなものをゼロからプログラムしようとすると、とてつもなく大変になるし、おそらく現実的な実行時間で動作させるのはきわめて困難です。
物理シミュレーションと変形を実に巧みに使って多足ロボットのようなものを動かしている人がいらっしゃいましたが、逆にいえばそれが限界です。
どこまでがんばっても車の性能は一定です。カローラの形をしていてフェラーリと同じスピードの車が誰でも簡単に作れてしまいます。
誰でも簡単にその環境で最高性能のものが作れるということは、競争ができないということです。
「作ってみたぜ。わーい」
というレベルでは楽しいでしょうが、そもそもセカンドライフの収益源はユーザによる価値創造にあるはずで、この価値創造の糊しろがあまりに少ないと、あっという間に飽和してしまいます。
グランツーリスモのプログラマでも、プログラミング歴一ヶ月の素人でも、作る車の性能に違いがないとしたら、誰がまじめに車をつくって売ろうとするでしょうか。
そういう意味ではリンデンラボという会社名が暗示するとおり、セカンドライフというのは壮大な社会学的実験であったと考えるほうがよさそうです。
イメージとしては、Smalltalkのようなもので、実用的にはあまり使われなかったけどその思想や概念は多くの言語やOSに影響を与える、みたいな存在です。その意味では今セカンドライフに触れている人はラッキーと言えるかもしれません。
とはいえ、これも時間をかけてLSLやセカンドライフのサーバシステムそのものをバージョンアップしていけば、解決できないものではなかったはずです。所詮はシステムのポテンシャルなんて、互換性を持たせてバージョンアップすればいくらでもあげることができます。
僕が個人的にとんでもなく凄いアーキテクチャだと思っているシステムはDirectXとFlash(ActionScript)なのですが、どちらもバージョンアップするたびにシステムの根本概念がガラリと変わってしまいます。
特にFlashの変わりようは別の言語としか思えないくらいに変わります。
しかしどちらも、確実にすばらしく良いものになるうえ、過去のバイナリとの互換性があるので、すんなりと移行されるのです。
そういう意味では、現バージョンのセカンドライフが極めて荒削りであっても、この世界そのものが失敗する根本的な要因にはならなかったと言えます。
ではもうひとつの要素、「急速に普及させすぎた」とはどういうことでしょうか。
僕はなんとなく、これが根本的な原因ではないかと思っています。
サービスにはどんなものにも「旬」の時期があるのです。
もしくは「熟成」とでも言えば良いでしょうか。
僕は少し前まで赤ワインが嫌いでした。
タンニンとかいうんでしょうか、あの苦味というか、ずっしり重たい、まるで血液を飲んでいるかのような澱の感じが苦手で、少し我慢して飲んでいたのですね。
ところがその飲み方がそもそも間違っているということを最近教えていただきました。
熟成された重いワインというのは、そもそも飲む前に空気にいちど触れさせて飲むべきらしいのです。実際、そのようにすると赤ワインは独特のまろやかな風味になり、とんでもなく美味なものになります。
あれだけ嫌だった澱も、風味として楽しめるようになるのです。逆に若い赤ワインは熟成が不十分で物足りない気分になります。
同様にサービスにも最もおいしい時期というか、熟成された時期があるはずです。
若いサービスを好む人というのは、業界人や技術者、いわゆるイノベーター層と呼ばれる人たちです。
熟成されたサービス、つまりより一般の人に対して使いやすくなったサービスとなるまで、十分に時間を掛ける必要があります。
ましてやセカンドライフほど高度で複雑なものなら、その熟成にはもっと長い時間が必要だったはずです。
イノベーター層の人たちはそのサービスが未完成に見えたり、しばしば矛盾を起こしたりしてもさほど怒ったりはしませんし、そのサービスのもっている可能性や問題点について早い段階で的確なアドバイスを出してくれます。
そういう要素をうまく汲み取り(すべてではなく、うまく選別する)、サービスを熟成させていくと、あるタイミングで「これはみんなが使うだろう」というものになります。これがチャンスのときです。
ネットワークゲームではβテストを敢えてクローズとオープンで分けます。
なぜかというと、いきなりすべての人に開放してしまうと、もののよくわかってない人、若いサービスに対して寛容でない人がやってきて「このゲームは駄目だ」と判断して二度と帰ってこなくなってしまうからです。
ユーザというのきわめてシビアで、ひとつのサービスを始めるまでのハードルをどれだけ低くしても、なに気に入らないことが一度でもあれば永久に戻ってこなくなります。
マーケティングの人たちは人を集めることばかりに熱心になりますが、集めることよりも去っていかないようにすることのほうが遥かに重要なのです。
携帯コンテンツがいい例ですが、携帯コンテンツではたくさんの人を集めるよりも一度会員になった人をできるだけ長く滞在してもらう仕組みを作るほうが遥かに高い収益性を実現します。
というのは、興味の無い人というのはどれだけ宣伝を打ってもやってこないですし、やってきたとしても、わけがわからないまま出て行ってしまうからです。そうして出て行った人は、同じサイトの宣伝を見ても、絶対に二度と戻ってきません。「このサービスをやってみよう」という好奇心は既に満たされていて、しかもそのサービスは自分の好むものではなかったという結論も出ているわけです。
つまり準備が不十分なままお客さんを受け入れるべきではないということです。
これがレストランならもっとわかりやすいかもしれません。初めていったレストランで厨房がめちゃくちゃ汚くて、机もろくに片付いてなかったら、まあ二度と行かないですよね。
通勤路にあってときどきリニューアルしたりしていたとしても、「あの店はとんでもない店だ」という意識があれば絶対にその店には行きません。
僕も家の近くにカレー屋さんができたときにいちどだけご飯を食べにいったのですが、いくらカツカレー卵のせ三人前を注文しても全く覚えてもらえず、チェーン店の安カレーなのに40分も待たされた挙句、「卵だけ」が出されたときには目が点になり、二度と言ってません。たぶん店員さんが日本語がよくわからなかったんでしょうけど、ここは東京ですからね。見ず知らずの店員さんに日本語のレクチャーをしてあげる義理はありません。店長さんらしき人がでてきて謝ってくれたのですが、さらに30分待った挙句、三人で来ているのにふつうのカレーライスがひとつだけ出てきたときにはさすがに店を出ました。接客というレベルじゃない。
いまでも毎日前を通るとき、お客さんは入ってるみたいですから、きっと今はさすがに改善されたのでしょうね。あの状態じゃとてもカレーライスが食べれる感じじゃありませんでしたから。でも、最初の印象があまりにも最悪だったので、やっぱり二度と行かないだろうなと思います。
セカンドライフに関していえば「やってない人」と「やったけどやめた人」、「やってる人」という三種類のユーザ状態があり、「やったけどやめた人」はよほどのことがない限り二度と「やってる人」にはならないのだろうということをもっと意識する必要があったのだと思います。
これはでも凄い教訓だなと思うんですね。
たとえばこれはセカンドライフだけではなくてrimo.tvにも当てはまると思うのです。
alexaをみると、rimo.tvのリリース時のアクセス数は本当に異常なほど凄いのに、あっという間にアクセスがなくなります。これは要するに「なるほどこういうものがでたのか」という好奇心を満たしたあとは、もう二度とそのサービスに戻る必要性を感じないユーザが圧倒的多数だったということでしょう。
ちなみにこれはサイトスニーカーにもいえます。
もともと僕は携帯向けフルブラウザでビジネスをするつもりがほとんど無かったので、サーバの電源さえ入れておけば誰かが使うだろうと思って、サイトスニーカーというサービスを無償でリリースしてみました。
ところがやってきたアクセスは天文学的なもので、あっという間にサーバがパンクしました。
サーバがパンクしたときにやってきたお客さんは、もう二度と戻ってこないのですね。
そんなわけで、登録ユーザ数だけ数えると50万件くらいあったにもかかわらず、酔狂な大学生のアルバイトがやってきて「俺がサイトスニーカーを改善したい」というので、彼に任せてより機能を強化したバージョン2は、5万件くらいしかダウンロードがない。実に1/10ですよ。これってとてつもない差だと思います。
要するに「なんだよ、サーバ落ちててちゃんと動かないよ。もういいよ」と思って使用をやめた人が45万人くらいいらしたわけですな。当時はなんというか、携帯フルブラウザバブルみたいなもので、とにかく珍しいからタダならとびつく、みたいな時代だったのもありますね。
それに比べると、UBiMEMOって凄く地味で、いろいろな事情があって二年くらいバージョンアップはせずにバグフィックスだけで対応しているのですが、もうずっと使ってくださっている方とかがいらっしゃるわけです。退会率が異常に低く、定着したユーザ様の生活の一部になっている。こういうものは宣伝するとリニアに売れていきます。実際のところ、利益として考えてもサイトスニーカーより何倍もの利益を生んでいます。ユーザ数は1/10に満たないというのに、です。
お金の問題というのも実は非常に難しくて、セカンドライフはお金を集めすぎたのではないかと思う部分もあります。
とくにベンチャー投資家からお金を集めてしまうと、上場へのプレッシャーからとかくサービスの普及や宣伝を急げ急げといわれがちで、どれだけお金を使ったかということが、「仕事をしてる」という尺度になっているきらいがあります。
すると宣伝とかはお金を使いやすいので、もうバンバン、湯水のように宣伝費を使うことになります。しかしサービスが未完成なので宣伝すればするほど逆効果です。潜在敵対顧客をバンバン産んでいるだけでドツボにはまっていったように思います。そしてこのジリ貧になったところでコア技術者の解雇。技術ドリブンの会社だという印象だったのですが、もっと良い技術者を確保できたか、それとももっと抜き差しならない事情があったのか定かではありませんが、とにかくいろいろな意味で不幸な要素が重なっているのは間違いないように思います。サービスを作るときにお金が本当にかかることは実に稀です。そのサービスが本当に習慣付けられるようなものになるか、ビジネスモデルを構築できるか、という実験を最小の予算でやってみたほうがずっといいような気がするのです。
どうもベンチャー企業のなかにはお金さえあればなんとでもなる、というマインドでお金を大量に集めているとしか思えないケースがあり、確かに大量にお金を集めているのですが、お金で買えるものって意外と少ないのです。たとえば歴史は買えません。本当の名誉も買えませんし、自分がもとの素質以上に賢くなることもできませんし、儲かる方法を買うこともできません。異性や同性からみて魅力的になることもできません(カリスマ性というやつです)。お金がいくらあっても、他人の人生を思い通りにできることは稀です。実際、大企業の悩みは、お金をいくら積んでも優秀な人材が来てくれないことが多かったりします。
恐ろしいことに、僕の知っている会社で、黒字化する前に10億単位の資本金を獲得したベンチャー企業は全て5年以内に事業撤退しています。むしろ資本金100万円の確認有限会社や合資会社みたいなところのほうがよほど堅実に経営していて、今は株式会社に改組したり、黒字経営を続けている場合もあります。要するに重要なのは資本の額ではなく、資本の使い方なのです。当たり前です。資本の額が多い人が商売をやって100%勝利するのならば、銀行が商売をやるのが最も確実だからです。でも銀行は決してゲームを作ったり、OSを作ったりしません。銀行は自分で商売をしない代わりに誰かを働かせて儲けるという商売です。銀行よりも賢くお金を使わなければ、そもそも銀行に預けておいて金利をもらっていたほうが得、という本末転倒なことになります。
お金をたくさん集めてしまうと、とにかくそれを使うプレッシャーから冷静な行動がとれなくなるというのは見過ごしがちですがとても重要な問題だと思います。同じことを以前、Twitterの開発者の方が言ってましたね。
話が散逸してしまいましたが、まとめると、僕がセカンドライフ(やそれに関連して思い出したこと)を見て、教訓にせねばと思ったのは以下のことです。
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サービスは小さく生んで大きく育てよう
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多くの人の注目を浴びることよりも、やってきたユーザの習慣の一部になるサービスを目指そう
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金さえあればなんとでもなるという考え方でサービスを作るのはやめよう。むしろお金を使わないで素晴らしいサービスを作る方法を考えよう
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ユーザ同士でお金をやりとりする方式は今後も増えていくかもしれない
-
ユーザに与えられたシステムの自由度を高めつつ、入門者の敷居を下げる工夫が必要だろう
-
本当に回線が細いことが理由で普及しないのなら、そももそ回線が太くなった時代が来るまで一般公開は控えるべきだったかもしれない。存在しないくらい高性能なGPU用に作られたゲームは普通販売されない。たとえばUnreal Engine3は開発当時のGPUではまともに動作しなかったが、GPUの処理性能が上がっていくことを前提に開発され、実際に処理性能が追いついてきたときに初めて製品として供給された
まあ当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、自戒を込めて
天下一カウボーイ大会にご来場ありがとうございました!
UEIとしては初めて開催する大きなイベントだったので、どうなることやら不安でしたが、ビックリするくらいスムーズに行きました。それもこれも、来場者の皆様の暖かいご声援と、スポンサー各社の皆様、とりわけalty partyを主催してくださったaltyさん、ドワンゴで一緒に働いていた仲間達、とくに永松くん、布施君、そしてUEIのスタッフ達のがんばりで、なんとか乗り切ることが出来ました。
もうこれは、大成功と呼んでもいいのではないかと思います。
チケットは発売後3週間足らずで完売でキャンセル待ちが出る人気、会場はご覧の通り超満員
開会一時間前から人が埋まっていて、スピーカーとして来ていただいた先生方も驚かれていました。
今回のイベントには反省点もたくさんあるのですが、なにはともあれ、無事に終えることが出来て心から安堵しています。
当日はビデオスイッチャーの手配を忘れて急遽MacBookProでVJソフトを使って代用するなど、けっこうグダグダな運営で様々な方にご迷惑をおかけしたかと思いますが、Twitterを拝見する限り(これ)、おおむねご好評を頂いたようで良かったです。
僕個人としてはCEDECの立ち上げ以来9年ぶりの大きなイベント立ち上げになります。
実は前日、松岡正剛さんの「連塾」というイベントがあって、それに参加していたら、あまりにも演出やらトークやらが凄すぎて、「こりゃ僕もこんなところで聞いてる場合じゃない」と居ても立っても居られなくなり、連塾の会場を飛び出して徹夜で準備を進めた次第です。
スピーカーの皆さんのトークの内容も凄過ぎるものが多く、いろいろな意味で濃いイベントになったと思います。
少なくとも、カウボーイ大会を企画した当初の目的「コンピュータカウボーイによるコンピュータカウボーイという生き様の啓蒙」というものは果たせたのではないかと自負しております。
ただ、Twitter検索やブログ検索を拝見する限り、「凄すぎてやる気がなくなった」という方もいらしたりして、そういう部分をどうやっていくかというのは今後の課題かもしれません。
まあとにかく今回プレゼンした方々は冗談抜きにとんでもなく凄いカウボーイばかりなので、僕も正直聞いていて「凄すぎてついていけん」と思った部分もなくはなかったです。
「次回も是非」というお話を何人もの方から頂いたのですが、今回のイベントは初回ということもあって、正直最初から採算を度外視している部分があり、やればやるほど赤字になるという困った性質を持っています。
とはいえ、もっと安い会場を使って会場費を安く抑えたり(重要なのは内容ですから)、今回ので実績を積んでスポンサー様を増やして行ったりすることで、なんとか黒字化(そして永続化)していけたらいいなと思っています。
もともと学園祭実行委員の出身なのでイベントごとは好きなのですが、正直、今回、とんでもない凄腕カウボーイの方々を向こうにまわして一日司会進行と演出とうちの社員の発表に関して指導したりするのはシャレにならないくらい疲れました。
次回はできればプロの司会者を立てたいと思います。
しかし本当に充実したイベントでした。
撮影したビデオを編集するのが本当に楽しみです。
しかしalty partyくらいはUstream配信しようと思っていたのですが、それをする余裕がなくなるくらい疲れました。
終わった後は、もうヘトヘトになって気持ち悪くなるくらい。
まああまりに寝てないので当然ですが。
次は春あたりにちょっと規模を縮小したミニイベントができたらいいなと思っています。
カウボーイユースみたいに、大学生限定のセッションを設けても面白いかもしれません。
それにしても、本当に、みなさん、ありがとうございました。
電脳ホワイトボードが書道風モードを搭載!
やっぱり画面が狭いし、味気ない。
ということで、お定まりですが、書道モードを付けてみました。
といかうこっちのほうがずっといいような気がします。
下手でも味がでるので、こっちをデフォルトにしました。
従来のペンを使いたいひとは「筆」を押すとトグルします。
公式ページの他、こんなふうに自分のブログなどにも組み込むことが出来ます。
電脳ホワイトボードに新機能追加!カメラ撮影した画像へのラクガキも可能に
ちょっと今日、朝定期検診で放射線(X線)を浴びたせいか、はたまた2時間しか睡眠をとってないせいか、妙にハイなのでさらに新機能追加
カメラ付きのPC(たとえばMacとか)を使っている場合、いちいち写真とって取り込むのが面倒。
もうその心配は要りません。電脳ホワイトボードでは、リアルタイムにWebカメラから画像を取り込んでそのままブログに貼ったり、ラクガキしたりできます。もう気分は自宅プリクラ。
みんなが書いた絵や写真もこちらから見ることが出来ます
電脳ホワイトボードにWebページ/写真取り込み機能を追加
に新機能追加
そういえば保存はできるけどロードは出来ないというのもどうかと思って読み込み機能をつけようかとおもったのですが、そもそも読み込みするなら、インターネット上のどの画像でも読み込めた方が特した気分です。
というわけで、URL入力ボックスを設置し、PNG、GIF、JPGなどの画像のほか、WebページのURLを入力するとサムネイル化されて取り込めるようになりました。
何に使えるかはまだよくわかりませんが、実験なので