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Lag Vegas出張で一番ハマったゲーム「勇者のくせになまいきだ」


ラスベガス出張で一番ハマったゲームについて、忘れないうちに書いておくことにします。




僕は出張のときはだいたいゲームを持って行くのですが、今回も6つくらい買って持って行きました。




しかし毎回遊ぶのはルミネスとかEvery Extendとか、水口作品になってしまう。この理由も説明するまでもなく明白で、一番遊びやすいからなんですけど。




それでまあ、今回もルミネス、またはルミネスIIに一番ハマると思っていたのですが、なんと大穴が来ました。




それが「勇者のくせになまいきだ」というゲーム






勇者のくせになまいきだ。




シン石丸が「これ面白いからやってみなよ」と貸してくれたものです。6本も新作買ったのに、結局借り物が一番面白かったという事実。口コミは大切です。




このゲームは破壊神となって勇者を撃退するゲームなのですが、破壊神ができることは、洞窟に穴を掘ることだけ。できる破壊ってそれだけか!(あとモンスターを殺したりはできます)




魔王君の指示に従って洞窟を掘って勇者を撃退する。

凄くシンプルなパズルゲームです。




このゲームの秀逸なところは、本当に掘る以外のことはなにもできないのに、戦略や戦術といったものが実に奥深くデザインされているところ。




要するに掘り方によって戦略を編み出せる。コレってとんでもなく凄い発明ですよ。




なんでそうなるのかと言うと、洞窟の中にはランダムに散らばった「養分」が含まれた土があって、この土を掘るとスライムになります。




で、スライムが洞窟のなかをウロウロすると養分が移動し、それをうまく誘導することでどこか一カ所に養分を集めることができます。




養分が集まった土を掘ると、中から「ガジガジ虫」が生まれ、このガジガジ虫はスライムを食べます。




スライムを食べてお腹いっぱいになったガジガジ虫はサナギになり、孵化してモスラみたいなモンスターになる・・・といった具合に、食物連鎖が再現されています。




このゲームの敵はもちろん勇者。

最初はスライム数匹で死んでしまうくらい弱いのですが、そのうち回復魔法を使ってきたり、パーティを組んできたりとなかなか手強くなっていきます。




破壊神はうまく食物連鎖を起こしてより強力なモンスターを生み出さなくてはならないのですが、掘るごとに堀パワーを消費し、堀パワーが減るとモンスターのパワーアップができなくなる、というジレンマも入っています。これも秀逸。




かくして、破壊神は今日も洞窟を掘り続けるわけです。




このゲーム、名前からするとRPGっぽいのですが、実際にはアクションパズルゲーム。

しかもやることは掘るだけ、という単純作業なのに、とてつもなく頭を使うゲームです。




闇雲にやっても難しいだけなので、トレーニングモードが充実していて、トレーニングで新しい「技」を見つけては実戦で試す、みたいな効率的な遊び方ができるようになっています。




これっていわば非言語型プログラミングのひとつの実例かもしれないなあと思うのです。




 公式Webページ



コンピュータ科学、人工生命に興味のある人なら絶対ハマると思います。


旅行中、ずっとこれをやっていて水口さんに「おまえはラスベガスまで何をしに来たんだ」と怒られたくらい。


改めてドラゴンボールは傑作だった


 ある日、昼下がりのカフェ。




 「私ね、実はオタクなんですよ」




 彼女はそう言ってルイボスティーをすすり、「熱っ」とすぐにティーカップに戻した。




 そうは言うけど、どうみてもそんなふうに見えない。バーバリーの小振りな鞄に、フェンディのコート。秋葉原よりも原宿か、表参道の方が似合う。最近はオタクも多様化したものだ。外見に惑わされてはいけない。




 とはいえ僕はその告白に少々以上の驚きを隠せなかったが、彼女は続けた。




 「もう、子供の頃からドラゴンボールが大好きなんです」




 ドラゴンボールのオタクというのは珍しい。

 いや、あれだけの人気があるのだから、珍しい等と言っては失礼だろうけど、そもそもメジャーな作品にオタク的ファンはつきにくいものだ。




 要するにこれは「ふつうのひと」の反応なのである。「ジブリが好き」「ディズニーが好き」とおそらく大差ないのだ。




 正直言うと、僕はドラゴンボールがそれほど好きではなかった。




 ドラゴンボールの単行本を初めて読んだのは小学四年生のとき。親戚がたまたま持ってきていた。けどそれっきりだ。そもそもマンガを読まない子供だった。読んでいたのは、伝記と、技術書。毛色は違うが、D・R・ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」と「メタマジック・ゲーム」が大好きだった。わけがわからないなりに。




 

 テレビアニメになったときは見ていた記憶があるけど、記憶に全く残らない作品だった。




 うっすらとした記憶の中では、初期のドラゴンボールは冒険ものという感じがして面白かった。しかし後半は毎週野蛮な殴り合いが続くだけ。強さもインフレしていって、わけがわからない。ストーリー不在、と言う言葉さえ浮かんでくる。アンケート至上主義が生んだ怪物だと思った。




 ところが僕より10年も遅く生まれた彼女は、ドラゴンボールが大好きなのだという。バイト代を注ぎ込んでDVDを買いあさるほど。それ以外のアニメには見向きもしない。ドラゴンボールだけ。

 

 ふらふらと書店に立ち寄ったときにドラゴンボールの愛蔵版が並んでいたとき、吸い込まれるように手にとってしまったのはそんなきっかけだった。






ドラゴンボール 完全版 (1)   ジャンプコミックス

ドラゴンボール 完全版 (1) ジャンプコミックス

  • 作者: 鳥山 明
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/04
  • メディア: コミック





 今更言うまでも無いことだけど、鳥山明の造形センスはズバ抜けている。




 ドラゴンクエストのキャラクターデザインを通して、彼がこうしたデザインセンスにさらに磨きを掛けたであろうことは想像に難くない。




 いま改めてコミックを読むと、展開の早さに驚かされる。

 2巻で早くもドラゴンボールが七つ揃い、神龍が現れる。が、願いは叶わない。しかし意外なところで願いは叶うことになる。このあたり、近未来版OZの魔法使い、といったところだ。おそらく最初のコンセプトは西遊記やOZの魔法使いではないだろうか。なんとなく中華っぽいテイストも、魔法も、そういう気がする。日本人は西遊記のプロットが好きだ。宇宙戦艦ヤマトも西遊記のプロットを使ったと後に作者が告白している。




 気がつくと夢中になって読み進み、あっという間に20巻。フリーザとの対決だ。

 改めて読むとバトル続きの展開でもストーリーとしてほとんど破綻がない。ときどきマンガを拾い読みするだけではわからなかったぐいぐいストーリーに人を引きつける魅力がある。




 マンガに詳しい布留川君によると、ドラゴンボールの初期のストーリー、つまり西遊記をベースとしたストーリーは、人気がなかったそうだ。いつ打ち切られるかわからない状態で、だから展開が速い。起死回生を図って天下一武道会のシリーズを始めたところ、これが当たり、以後バトル漫画としての路線を確立していく。




 まあ確かに。子供の頃はバトルものが好きだった。戦闘シーンに手抜きがされてるとしか思えないマクロスセブンなどは嫌いだった。ドラマよりバトル。その意味では、インフレし続けるドラゴンボールの展開は子供の快感原則に叶っている。指先ひとつで山が吹き飛び、目に見えないほどのスピードでバトルが展開する。




 しかも、ドラゴンボールの場合、天才的とも言える殺陣のセンスがある。修羅の門も決して悪くはないが、子供には何が起きたのか全く解らない。一巻まるごと使って一試合終わらないことなどざらである。




 ドラゴンボールのアニメをいまから全部見直そうという根性はないが、コミックなら半日もあれば読めそうだ。実際のところ、改めて読むととんでもない傑作だということにハッとさせられた。




 子供にも本物が解るのだ。

 むしろ子供にこそ解る、というべきだろうか。




 けれども、Death Valleyに行く前後にドラゴンボールを読んでいたのは幸運だった。そういう世界に順応する下地として作用していたということだろう。




 ただただ無限に広がる荒野。




 本来ならゾッとするような展開であっても、ドラゴンボールはどこか清々しい。

 鳥山明の演出力、画力が遺憾なく発揮されている作品であると言えるだろう。




 センスといえば、一巻の頃は擬音がアラレちゃんと同じくBAKOOOONなどとアルファベットで描かれているが、後半の巻ではバコーーンとカタカナになっている。これも子供向けを意識した演出の変更なのだろうか。僕はアルファベットの方が好きだ。




 とはいえまだ21巻以降は読んでないのだ。セルが登場すると僕の評価もまた変わるかも知れない。


面接官からみた、面接で好印象を得るための5つのポイント


ひさしぶりにゆっくりと日本のニュースサイトなどを見ていたら、ふと面接の記事が目にとまりました。




面接。




正直言って、僕は面接された経験はあまりありません。

もうなし崩しに社会人になって、そのまま突っ走ってる。

インターネットの時代に面接して会社に入る人というのは、実は少ないのかも知れないのです。




ブログとか、まあ当時は「ホームページ」なんて呼んでましたけど、自分の情報がネットに全て書いてあると、向こうから話がやってくる。そういうときに顔を見てみて「あんたの顔じゃダメだ」なんて言われません。向こうとしては、とにかく仕事がやれそうならそれでいいわけです。




僕が若い頃はそういう時代でしたが、いざ社会人になってしばらくすると、逆に面接をする機会というのが増えました。言うまでもなく、面接官としてです。




結局のところ、僕は今でも面接をしています。

去年だけで50人くらいは面接しているかもしれません。




いままでに面接した人は、その十倍くらいは居るでしょう。いや、それは大袈裟か・・・。




DEAの学生達に講義をしていても、みんな面接について聞きたがります。僕の授業と直接関係ないんですけど、まあ本人達のためになればと思って面接のポイントについて話をしたりするのです。




僕が面接で見るポイントは5つ。



  1. 服装
  2. 常識
  3. 品格
  4. 知性





上から順番に大事です。




まず、顔。

良く言っているのですが、優秀な人は顔をみれば解ります。

男は40を超えたら自分の顔に責任をもたなければならない、なんて言った人がいますが、20でも顔を見れば能力のだいたいのことは想像できます。性格も。顔なんかそうそう簡単に変えることはできないので、普段から気をつける必要があります。就職活動を一年間やるなら、一年間毎日鏡で笑顔の練習をしたらいいと思います。それくらい大切です。




優れた企業に行くと、だいたいみんな、美男子でも美女でもないけど、愛嬌のあるいい顔をしています。それは気力、体力ともに充実しているからです。景気の悪い顔の人ばかりの会社は、景気の悪い会社です。別に美形である必要はなく、愛される顔であればいいのです。まあここは深く考えても仕方がないので、飛ばします。




次に服装。

といっても、面接に着ていくのはまあスーツなわけですよ。

面接用のスーツを買うとき、どれでも一緒だと思っていそうな人が多いのですが、ぜんぜん違います。

というか、どれでも一緒に見えるからこそ、センスが問われる領域なのです。




慌てて量販店で買ってきたような、ペラペラのリクルートスーツを着てくると、極めて大雑把な人だと思われてしまうでしょう。スーツなんか着慣れていないのが一目瞭然です。新卒は仕方ないにしても、中途採用でスーツのセンスが悪いのは致命的だと思います。




まずきちんとサイズが合っていること。

それなりに良い素材でできていること。

カバンや靴、ベルトとコーディネートされていること。

特に靴とベルトの色を合わせるという常識がないと、いろいろ疑われても仕方ありません。

スーツの色は何色でもいいですが、あまり衝撃的な色はやめた方が良いでしょう。人の肌の色は実は個人差があります。シャツの色やスーツの色は微妙に肌によって色をあわせるべきです。

服くらいで希望の会社に就職できるものなら安いものです。ここはケチらずにバイトしてでもきちんとした格好をしましょう。




とはいえ、やたら凝ったデザインのブランドスーツを着てくると、それはそれで社会常識が疑われます。常識ってもう定義不能ですけど、だからこそ難しい。




なぜ人は"常識"を求めるのか。

これは本質的には"美男・美女"を求めるのと同じです。




美男・美女の顔を分析すると、実は各パーツの大きさや配置のバランスが平均値に近ければ近いほどそう認識されるのだそうです。




脳の記憶構造を想像すると、以下のような仮説が生まれます。




1)顔の美醜を判断するのは、遺伝子の異常がないかどうかを確かめるため

2)DNAには"正常なデータ"もチェックサムもないため、そもそもなにが正常か求めるのは難しい。

3)従って、生まれてから育つまでの間に見た人間の顔をとにかく脳内で平均化していく

4)平均に最も近い顔が最も正常なDNAを持っていると類推することができる

5)従って、美男・美女が最も正常なDNAを持っていると推察される




これは、「毎日顔をあわせているだけで好意が沸いてくる」という心理学的な効果の説明でもあります。




あくまでも「正しいDNAデータは入力地を平均化することでしか得られない」のだとすれば、自分の顔の入力回数を増やせば増やすほど、脳内の平均モデルは自分の顔に近づくハズです。




常識というのも一緒です。

常識というのは人によって大きく異なります。

だから、顔の美醜を常識に置き換えると以下のようになります。




1)常識を判断するのは、社会生活の異常がないかどうかを確かめるため

2)常識には"厳密な定義"がないため、そもそもなにが正常か求めるのは難しい。

3)従って、生まれてから育つまでの間に出会った人間の行動様式をとにかく脳内で平均化していく

4)平均に最も近い行動様式が最も常識的な態度であると類推することができる




自分の顔を相手によく見せたければ、何度も相手の前に現れて顔の記憶を上書きしていけば、平均値がそちらに近づいて来ます。もしくは鏡の前で練習したり、化粧を工夫したりすれば、あるいは平均的な顔や表情に近づけることはできます。




しかし常識というものばかりは、そう簡単に手に入れることはできません。

相手と数分間話しをしただけで、新しい常識(行動様式)を相手にインプットするのはまず不可能と考えるべきでしょう。




では自分が相手の常識を身につけるしかありません。




相手の会社の業界の成り立ちや歴史について徹底的に勉強することです。

特に成功した人たちの電気や歴史を調べておくことが肝心です。

いろいろ面接しましたが、そこまで調べている人は希。けれども歴史を知ることは、相手の会社のWebページを通り一遍みるよりも何倍も効果があります。会社の従業員数や売上高などの公知情報を丸暗記してきたってムダ。自社の売上なんか常識ですらありません。重要なのはメンタリティ。その会社がなにを考え、なにを使命としてこれから事業を展開しようとしているのか、そういうことです。




たとえば大手メーカーなら、創業者の伝記やその会社の成り立ちについて解説した本が幾らでも出ています。できる限りそういうものを読破し、その業界の常識に自分を近づけること。OB訪問もそういう意味で活用すると良いでしょう。そこまで大きな会社でない場合は、その業界に関して書かれた本をなるべく沢山読むことです。




そして品格。

品の良さというのは付け焼き刃で手にすることはできません。

ものの答え方、考え方、物腰、態度。よほど巧妙にやっても見破られてしまいます。




最後に知性。

知性は面接で見破るのは非常に難しいのですが、よほど低いとすぐに見破ることができます。




どうやって知性について面接でテストするのかというと、僕は「Whyセット」という方法をよく使います。




受験者が喋ったある事柄について、ひたすら「Why?」を連発するのです。




 「モバイル業界を志望した理由は何ですか?」




 「将来性があり、これから有望だと思ったからです」




 「なぜ将来性があると思うのですか?」




 「モバイル市場は毎年拡大しており、今後もそれが続くのではないかと思っています」




 「なぜそう思うのですか?」




 「ええと・・・みんなが使っているし、僕・・私も毎日使っていますから」




 「では電気はどうですか?電車も、テレビも、自動車も、毎日使っているのではないですか?そのなかでなぜ携帯電話だけが拡大していると思うのですか?」




 「ええと・・・それは、新しいからです。新しくて、みんなが使っているから」




 「では、このあと携帯電話以外にもっと新しく、もっと普及するものが登場してきたらどうしますか?あなたは就職して5年もしないうちに時代遅れになってしまうかもしれません。それでもこの業界で働きたい理由はなぜですか?」




上記の例は、落選する場合の典型的なやりとりです。

「Why」という質問に対して、どういう回答をするかで、相手のおおよその知性が計れます。

面接に際して、充分な下準備や事前学習を積んできたか、その世界でやっていく覚悟があるか、なにより自分の行動を常に反省する知性態度があるか、ということがこのWhyセットで解ります。




合格するやりとりも書いておかないとフェアでないかもしれません。

賢い受験者はこんな風に答えます。




 「モバイル業界を志望した理由は何ですか?」




 「将来性があり、これから有望だと思ったからです」




 「なぜ将来性があると思うのですか?」




 「国内モバイル市場はコンテンツとコマースあわせて1兆円規模に達し、世界的にもそうした潮流が伝搬しようとしています」




 「なぜそう思うのですか?」




 「ニュースや資料を調べると、そのように書いてありました。私もそうだと思っています」




 「でもニュース記事であっても、常に本当のことが書いてあるとは限らない。広告主に遠慮して、おかしな誇張が入ったニュースも沢山報道されています。それが本当のことだとなぜ思うのですか?」




 「・・・難しい質問です。けれども、モバイル専門の企業だけを見ても、この10年で3社が一部上場を果たしています。店頭公開も含めればもっと多くの会社が上場しています。これは証券会社の資料で見たので、広告主の利害関係の影響下にない事実だと思います」




 「しかしたった10年の間にそれだけの会社が上場するというのは、むしろ異常なことではないですか?バブルかもしれない。それでもなぜ敢えてモバイル業界で働こうと思うのですか」




 「・・・バブルである可能性はあると思います。しかし、土地のバブルと違い、モバイル業界は現実に人々に新しい価値を創造し、提供することに成功しています。コミュニケーションの道具として、もはやケータイなしの生活は考えられません。次の時代になにが主流となるかわかりませんが、今現在はモバイルが最先端にあり、最先端の分野に身を置いて勉強したいのです」






過去、ディティールは異なりますが、実際にこのように受け答えをした受験者が居ました。

もちろんその場で合格です。




事前にデータを調べ、自分なりに咀嚼し、独自の視点でものを見れることを面接で証明したのです。




大学のレポートをマジメに書ける人なら、この程度の受け答えは当たり前のようにできるハズです。




それができないということは、口ではどんなに良いことを言っていても、結局、マジメに仕事をする気がないんだろうということになります。




面接に王道はありません。結局、自分という人間をどこまでその会社の文化にあわせることができそうか、ということが問われます。




逆に面接でそういうことを聞かれずに受けたら採用、みたいな採り方をする会社は、人が入りたくない理由があるのです。




最も不幸なのは、自分の実力にもあわず、性格にもあわない会社に間違って入社してしまうことです。




会社にとっても本人にとってもとても不幸なことになります。

どんな仕事にも適性というものがありますから、その産業の歴史や資料を調べてみて、「とてもついて行けない」と思ったら早めに見切りをつけるのも大事なことだと思います。


Death Valleyはどれくらい広いか、そして日米文化の違いについてぐだぐだと


東京に戻ってきました。

空港の駐車場で愛車をピックアップして、最先端のカーナビゲーションシステムを起動すると、「ああ、戻ってきた」という気がします。東京はやはり凄い。世界最先端の電脳都市です。

あまりに電脳化されていて、普段はそれに気づかないくらいです。




しかし3G通信があたり前のようにできて、あらゆる人が高機能な携帯電話とメールを使いこなし、当然のようにケータイからmixiをやったりモブログを書いたりしている都市は東京しかありません。




また、カーナビがこんなに発達しているのも日本だけです。とりわけ東京のカーナビ密度と精度は高いし、またそれが必要とされる土壌もあります。カーナビが人口の半分くらいまで売れている国はまずないでしょう。




アメリカでは、ハマーH3を借りたせいか、カーナビが付いていませんでした。

とはいっても、アメリカのカーナビなんか、GPSに毛が生えたような物ですからね。

iPod touchのGoogleMapみたいなものを想像しているとしたら、とんだお門違いです。iPod touch(というかiPhone)がずば抜けて良くできているというだけで、ベンツのカーナビですら、未だに衛星写真は出ないし、3D表示もVICSもないのです(最近VICSだけは付いた?けどレンタカー屋のカーナビにはそういうものは一切付いてません)。




なぜそんなことになっているのか、やっぱり砂漠を横断してみてわかりました。

主要な道に全てNシステムやVICSを配置し、町中のあらゆる場所を携帯の電波で満たすことができているのは今のところ東京だけです。




21世紀で最も進んだ都市と言っても良いのではないでしょうか。

ヨーロッパから戻ったときもそうでしたが、東京の快適さには心底驚きます。




さて、戻ってきて出張中の写真を見直したりしたのですが、とにかくひたすら広いことに驚かされます。




では、どのくらい広いのか、とりあえずムービーをみてください







これでもぜんぜんわからないと思います。

その場にいないとぜんぜんわからない臨場感。




GoogleMapsで調べてみました。







この地図によると、最も高い山と思われる地点まで100km以上あります。




Death Valley自体は海抜-200メートルくらいのところにあって、この山は3000メートル以上あるとのことなので、そういう高低差で見てることになります。






100kmというのは、東京23区全体がすっぽり入ってしまうくらいの距離です。




これが一望できるというのは、そういう途方もないことなのです。

まあ東京タワーか、六本木ヒルズにでも登れば一望できると言えなくもありませんが。




むう。しかし凄い。いろんな意味で。







こんな道が殆どなのです。だからアメリカのクルマの多くには、アクセルとブレーキを自動的に調整して一定速度を保つオートクルーズ機能が搭載されています。止まることの方が少ない。







隣の州にいくのに、4時間。しかも途中二回くらい給油しないとたどり着けない。

まさに馬に水を飲ませるがごとく、ときどきこういうオアシスのようなところに立ち寄って給油するわけです。モータリゼーションとはこういうことか、と思います。




ヘンリー・フォードが大衆向け自動車を発明する以前のアメリカとは、どんなだったのか、全く想像もつきません。




こりゃ最低でもチョコボ、できれば飛空艇がないと移動は絶望的に辛いと思いました。




冗談はさておき、馬は時速60kmで一時間走り続けることができるそうです。すると一時間で60キロ。休み休みいけばまあたどり着けないこともないかもしれません。首都高を走るクルマとほぼ同じスピードですね。




こういう広い世界があるから、アメリカの全ての文化があるような気がします。おおざっぱなところも、フランチャイズも、全部。




逆に東京を考えると、超高密度都市です。一日で超過疎から超高密度への変化を体験したわけですが、やっぱりこれはびっくりするくらい凄い変化でした。世界の文化がつくられるのに、風土や気候は決して無関係ではないようです。僕はずっとコンピュータの世界しか知らなかったから、余計に驚きました。




辻仁成がアメリカをバイクで横断したとか聞いても「ふーん」としか思っていなかったのですが、それ、実際にやるとしたら途方もない体験だというのがようやく解りました。そりゃ中山美穂と結婚するわ。






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  • 作者: 辻 仁成
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  • 発売日: 2001/09
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単にバイクで横断するだけなら、たぶん誰でもできる感じがするんですけど、もうイジメみたいな苦行であることは想像に難くありません。夏は暑く、冬は寒い。なにかトラブルがあっても、無限の荒野しかなくて、JAFなんか来ない。街にいけばワルばかり。メイドですら気を許せない。気を抜くとオーバーヒート。水や食料が尽きたらジ・エンド。




メチャクチャリアルなドラゴンクエストというかファイナルファンタジーというか。

しかも、意味がない。全く。ただ「行こう」と決めてひたすら行くだけ。くじけそうですよね。というか普通はくじける。けど、もう途中まで行ったら、後戻りできない。点と点の間はひたすら線。線をまっすぐ走るだけ。暇。とんでもなく暇。




こんな国だから冷凍睡眠して星間飛行しようなんて途方もない発想も出てくる。もしくはワープ航法を使っても何ヶ月も移動にかかるなんていう無茶な設定がすんなりと受け入れられる。






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日本で攻殻機動隊がうまれ、アメリカでスタートレックがうまれるというのも、なんというか、うまくいえないけど、解る気がします。




日本はとにかく密度が高い。あらゆる物の密度です。道具からなにから、もの凄く細かいところまで隅々考えられてるわけで。




特に東京。情報で満たされています。情報のシャワーを浴びるのが、まるで生命として当然の義務であるかのように。東京は犬や猫ですら、信号を見て交差点を渡るような気さえしてきます。




この国では攻殻の発想が出てくるのはむしろ自然です。






攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society

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日本の昔話は、あまり旅に焦点があたりません。

一寸法師、桃太郎、金太郎。なんかもの凄く展開が早くて、すぐに目的地に着いて鬼をやっつけます。




数少ない例外は西遊記。でもあれ、中国の話ですからね。




日本最古の物語と言われている竹取物語のクライマックス(と思う場面)は、かぐや姫が「あれをもってこい」とか「これをもってこい」とか求婚者達に無理難題を押しつけるシーンだと思うのですが、なんとその求婚者達の冒険は、殆ど描かれません。「とにかくなんとか手に入れた」みたいな。「かくかくしかじか」みたいな、凄い省略ぶりです。オデュッセイアなら、三人の求婚者たちの冒険を描くだけで三巻くらいは使いそうです。一事が万事、そうなのです。京都から外に出る物語も希です。




それは国土が狭く、距離が近いから、なのかどうかわかりませんが、そういうお国柄というか、背景はある。




SFで比較しても、銀河系を駆けめぐるスタートレックとスターウォーズに対し、ガンダムなんか太陽系どころか月まで行かないくらいですからね。むしろ殆どの舞台は地球。




宇宙と行っても、ラグランジュ点がせいぜい。そんな近距離では、ウラシマ効果なんか生まれるわけもないからSF考証的には微妙に都合がいいのかもしれませんが、人型ロボットが戦って居る時点で何かが違います。後半になって微妙に木星とか出てきますけど、あくまで主役は地球とラグランジュ点の間。




密度を高めて、そこで物語を紡ぎ出す。

だからスタートレックが文字通り紀行物語(トレック)であるのに対し、ガンダムのテーマは「宇宙でうまれた人類が地球に居続ける人類と対立する」という、人間の内面に近いもの。物語の構成自体が密度を高めているわけです。




日本アニメの良いところというのは、良くも悪くも密度が高いところだと思います。




アメリカのアニメや映画というのは、密度が高いように見えて、マットペイントを凝視するとすごくおおざっぱで、細かいことは気にしないという発想が伝わってきます。特に初期のジェームズ・ボンドの特撮はひどい。




日本の特撮は、アメリカのそういう悪い特撮をある程度見本にしてしまっている部分があって、ひどいものも多いのですが、それでも毎週特撮ものの番組を二つも三つもやっている、戦隊もの、ウルトラマン、仮面ライダーとか、まあそういうやつをずっと作り続けている国というのは、やっぱり珍しいと思うわけです。しかもとにかくやたら凝ってる。ギミックとか、敵とかに意味を持たせているわけです。




スタートレックって、「わあ、宇宙にはこんな星があるんだなあ」くらいの話ばっかりなのですが、例えば怪傑ズバットは「俺の親友、飛鳥五郎を殺したのは貴様かっ!」と毎回悪人をしばきたおして、最後に「お前じゃなかったのか!くそっ」と次なる戦いに向かう。もう、根本が違うわけです。




その意味では宇宙戦艦ヤマトも新世紀エヴァンゲリオンも超時空要塞マクロスも同じ。

とにかく果てしなく遠いところに究極の目標があって、日々の戦いはそのための道程に過ぎないという描写。




スタートレックと水戸黄門は凄く似ていて、特に理由もなく宇宙を漂って、なにかへんなものを発見するカーク船長と、悪代官の悪事をみつける御老公はほとんど変わらない。




けど、たいていの和製ドラマにはなにか究極の目標が設定されていて、それに向けて邁進するというフォーマットが多い気がします。そのほうがドラマを作りやすかった、というのは往々にしてあると思いますが。




昔のアメリカのテレビドラマは、もうびっくりするくらい、そんなバックグラウンドはないわけで、特効野郎Aチームもナイトライダーもエアーウルフも、「どうしてそんな奴らがいるのか」という「戦いの理由」はほとんどモノローグでしか解説されないわけです。




去年だったか、ナイトライダーのDVDボックスを買って腰が抜けるほど驚いたのは、全くなんの説明もなく、いきなりマイケル・ナイトがナイト2000を使って事件を解決していること。




普通、ドラマの第一回目って、背景説明というか目的説明っていうか、そういうところから始まるのがセオリーじゃないですか。そういうのを全てすっ飛ばして、いきなり事件が起きて唐突に現れたナイト財団が解決している。なぜなのか、どうしてなのかは全く説明がない。子供の頃は特に疑問に思いませんでしたが、今みると、ナイト財団というのは「実は真の巨悪である軍産複合体が作り上げた傀儡組織で、マイケル・ナイトが倒していたのは全て正義の組織だった」みたいなオチがしっくり来るような気さえしてきます。




24以降のドラマがアメリカと日本でほぼ同時にヒットしたのは、実は24のリアルタイムフォーマットが、日本的なドラマ作りと似ているからかもしれませんね。ロストとかプリズンブレイクとかも同じジャンルですが。




砂漠を帰りながら、まあそんな考えが浮かんでは消え・・・。




そのまま空港について、飛行機に乗ったら気を失って、気がついたら北海道上空でした。




退屈だったので、おもむろに取り出した「ハッカーと画家」を読んでいたら、冒頭にハッとする言葉が書いてありました。



でも物質的な製品というのは、もっとずっと制約の多いものだ。劇的な技術革新よりも、良いセンスと細部への注意が勝利を収めるものだ。

問題はこの「センス」という言葉が、米国人には若干馬鹿げたものと思われていることだ。そういう言葉を使っていると、うぬぼれ屋か、軽薄か、あるいは軟弱であるとさえ思われる。進歩派からは「主観的だ」と思われ、保守派からは「女々しい」と思われる。だから米国で本当にデザインの問題を考えたい人は、逆風の中を進むことになる。





驚くべきことに、確かにアメリカのほとんどあらゆる物質的製品は、どうしようもないデザインばかりです。




「ハッカーと画家」では、それはデザインというものが単に主観的な問題として処理されているからだと言います。




このフレーズには本当に驚きました。

確かに、"そういうこと"をするアメリカ人は凄く希なのです。




「プラダを来た悪魔」を見ても、要するにハイファッションというのはごく一部のニューヨーカーとそのフォロワーのためのもので、要するに気取り屋と女性のためのものであって、そうでない大多数の人々にはとてもどうでもよい、くだらないものだと思われているように思います。「プラダを来た悪魔」の冒頭で、主人公はまさにそういう考えを持ったエリート女性として振る舞い、ファッションを馬鹿にします。いろいろな意味で凄い映画だと思いました。




アメリカにおける例外は、映画とソフトウェァだと。

そのふたつだけは、開発者が単に美意識を発揮できる場所なのだということです。

X-Window、Unix、そういうものは単に性能を追求しただけでなく、快適さや明快さといった目に見えない性能指標を達成しようとしています。




アメリカのWeb2.0サイトがどれもこれも似たようなデザインなのも、そのなかでTumblrがひたすら異彩を放っているというのも、解る気がします。西海岸でスーツを殆ど見ないのも、ゲームエグゼクティブがみんなポロシャツにジーンズなのも。




まあ勝手にブログ評論みたいな、デザインを完全においてけぼりにしたサイトを作ってる人間がデザインについてとやかく言えた義理ではないですが。




とにかくこの話はとても刺激的でした。

今回の出張で、アメリカ人、そしてアメリカ合衆国という国のことがほんの少し解った気がします。




もっともっと知見を広めなければ。


僕は本当のアメリカをなにひとつ知りはしなかった


朝4時に起きてDeath Valleyに行ってきました。




Death Valley、死の渓谷という名前がついているだけあって、見渡す限り砂漠。

しかし、途方もないくらいの広さに圧倒されました。







ラスベガスからクルマで2時間。ひたすらまっすぐインターステート15号を北へ進んで、ようやくたどり着くとそこは文字通り別世界でした。




Death Valleyにはいろいろな場所があるのですが、今回行ったのは砂の砂漠。




さらさらしたパウダー状の砂が積もった美しい場所でした。




ふつう、日本の観光地ではこういうところは紐なんかがひっぱってあって「立ち入り禁止」とか書かれているものですが、Death Valleyは単なる砂漠。というかアメリカ全体がそもそも単なる砂漠や単なる森の占める面積が大きいので、どこへいってもこんなもんだ、ということでした。







砂漠に風紋ができていて、そこを自分の足で踏みしめていくと、大自然と自分が一体に溶け込んだような、母なる大地に抱かれたような、不思議な充足感で満たされます。




こんなところを馬一匹で開拓しようとしたカウボーイ達を突き動かしていた者はいったいなんなのでしょうか。




水口さんの導きで旅をしてみて、いろいろとそれまでの自分にはなかった認識が芽生えてきました。




水口さんは大学の卒業旅行として、レンタカーを借りてアメリカ大陸を一ヶ月で一周する旅に出たそうです。




 「ほとんど人が住んでないけど、同じ景色は二つとしてない…」




水口さんはアメリカ大陸をそう評しました。大学時代にこの景色を知っているかそうでないかの差はでかい。この景色は少なくとも僕の世の中に対する認識をかなり変えることになりました。




Web2.0とか心底バカバカしくなってくる。

人間とはなんてちっぽけな存在なんだろうと、大自然の雄大さ、ただただ雄大であるということに圧倒されます。




僕が知っているアメリカは、サンフランシスコであり、ロスアンゼルスであり、シアトルであったわけですが、それはごくごく一部の話で、アメリカという国の大半は、こうした膨大な荒野と砂漠によって成り立っている訳です。




こんな砂漠のど真ん中に町を作る人もいれば、ひたすら海を目指して西進したカウボーイも居て、アメリカという国は巨大な点と線とによって成り立っているのだということに今更ながら驚かされます。




こういう国ならば、そりゃ月に上陸しようとするわな、という気持ちがようやく解ってきました。




町としての点と、街道としての線、という組み合わせは、たとえば銀河系にも通じるものがあります。




スタートレックやスターウォーズのようなスペースオペラが当たり前のように受け入れられる事情というのは、こういう風土にあるのかもしれません。なんというか、凄く、似てるのです。




同じような景色のところをひたすらまっすぐ進んでいって次なる町を目指す、というスタイルそのものが、まさにスタートレックでありスターウォーズに近い感覚です。




僕はクルマで巡っただけですが、たぶんカウボーイが馬で行き来していた頃は、同じ道程を歩むのに優に数ヶ月は必要としたでしょう。




そういう時間感覚は、宇宙のそれに近いものがあります。




地面をクルマで走るのに比べると、飛行機でいきなり目的地に降り立ってしまうのは、少々勿体ないというか、まるでワープしているようです。




Death Valleyで本当に驚いたのは、景色がめまぐるしく変わることです。

右と左で景色が違い、尾根をひとつ超えるとまた景色が変わる。

どちらにせよとにかくひたすらに広い。圧倒的に広い。




 「まるでドラゴンボールみたいだ…」




 「清水はマンガと映画しか連想するものがないのか」




 「まあそうですね」




 「考えるんじゃない。感じるんだよ」




 「ブルース・リーですか」




 「・・・・」




冒険とは、まさにこういうことを言うのだな、と思いました。

ロールプレイングゲームが開発され、受け入れられる土壌というのも、要するにこういうひたすらに広大な空間がごく身近にあって、イメージがしやすい。




ラグナロクオンラインと、エヴァークエストの最大の違いは、密度です。

ラグナロクはひとつひとつのマップやエリアが適度にコンパクトで遊びやすいのですが、エヴァークエストはひたすら荒野です。韓国とアメリカという風土の違いが、もしかすると関係しているのかもしれません。




山の向こうの方なんか霞んで見えなくなっている。だがそれがいいワケです。こうなるともう次元が違う。




Death Valleyの周辺というのは、まさしくエヴァークエストの世界です。

僕の目には荒野にモンスターが暴れる姿がありありとイメージされました。




ああこれか、これなんだ、と。




しかも、山はどんなテレビゲームよりも表情豊かです。

文字通り、二度と同じ景色がない。




山の成り立ち方、その形、植物の生え方、種類、石、岩の形、それぞれ、あっという間、みるみるめまぐるしく変わっていきます。




そこに通るのはひたすらインターステート(州間道路)。いわゆるフリーウェイの中でも最大規模のものをインターステートと呼ぶのです。総延長は何万キロになるんだろう。とにかくこういう道が通っていること、それ自体が凄い。




 「インターステートを整備したのは、アル・ゴアのお父さんなんだよ」




ふと水口さんが言いました。




 「それで息子は、情報スーパーハイウェイ、つまりインターネットを整備したわけ。親子二代でそういう仕事をしてるわけだ」




でかい。

とてつもなくでかい話だ。




そして確かに点と線のモデルは、インターネットにおけるノードと回線、WWWにおけるページとリンクの構造であって、こういうメンタルモデルをアメリカ人は共通して持っているのかもしれません。だからヨーロッパで発明されたWWWも、アメリカで爆発的に普及した、と。




いままで不思議だと思っていた疑問のいくつかが、この雄大な景色を見て氷解したような気がしました。




Death Valleyという名前とは裏腹に、見れば見るほど生きる勇気が湧いてくるような凄いところです。




 「ここって、アメリカ人にとっては華厳の滝みたいなものなんですか?」




 「いや、そんなメジャーな観光地じゃないよ。どっちかっていうと、富士の樹海じゃないかな。有名だけど、普通の神経なら誰も行かない…」




この雄大さをカメラに収めるのは文字通り至難を極め、Death Valleyのもつ雄大さの1万分の1も写し取れないのは実に残念です。




なるべく若いうちにDeath Valleyを見ておくのがいいと思います。

これは人のスケールを大きくするわ。

こんな何もないところをひたすら突き進んだというだけで、アメリカ人は賞賛に値すると思います。




そして都会というのはなんとセセコマしい場所なんだと。本当の田舎とはこういう場所なんだと思いました。僕の実家なんか、ぜんぜん都会だった。住宅地だし。




日本にもきっと似たような場所があるのかもしれません。たとえば北海道とか。行ってみたい。




もちろん都会には都会ならではの魅力はあるのですが、都会しか知らないというのと、都会も知っているというのとでは、やはり感性の幅として限界が低かったように思います。都会にしか興味がなくて、だからやれサンフランシスコだロスアンゼルスだサンディエゴだと行っていたわけですが、こういうアメリカが、大部分のアメリカで、アメリカ人はこういう原風景をメンタリティとして持っているんだなと。それを抜きにしてこの国の文化は到底理解できないと思いました。




ハンバーガー、フランチャイズ、インターネット、冷凍食品、ショッピングモール…そういうものが必要であるという、文化背景の全てが、要するにただただこの広大な荒野の中で人々が逞しく生きていくための手段であるように感じます。全てのことには理由があるわけで。




そういう世界を僕はもっと知るべきだと思いました。

それにしても、朝からいい経験をさせてもらったなあ。


新しいプログラミング言語を学ぶときにやる5つの練習問題


こういうエントリに刺激されて、僕が普段新しい言語を勉強するときにやる練習問題も書いてみます。



  1. Hello Worldと表示する
  2. 「エラトステネスのふるい」を実装する
  3. Quick sortを実装する
  4. CSVファイルを読み込んで整形する
  5. 簡単なHTTPサーバを実装してみる





まあ目的が違うし、「初心者が」というよりも「ある程度いろんな言語に慣れた人」が、その言語の特徴をつかむために書く練習問題として列挙してみました。5種類も書けば十分ですね。




Hello WorldはI/O関連の動作確認と基本スタイルの確認のために必ず書くことが多いです。書いたこと自体も忘れてしまいますが。




人間には、ツァイガルニック効果というものがあると言われています。これは不完全なものをみると完成させたくなる、という性質です。パズルを見てクリアしようとしたり、集めていないアイテムを集めたくなるコレクターの心理にも近いものです。




Hello worldはあまりにも非力で、非力であるが故にその後の言語理解へ進もうとする強烈な欲望になります。




エラトステネスのふるいは、きわめて典型的なアルゴリズムをどのように表現できるか確認する意味で行います。




配列を使ったものをまず作り、次に配列を使わないものを作ってみるとまず思考のエクササイズになります。




Quick sortの実装では再起呼び出しと配列(リスト)の扱いを学ぶことができます。

間違ってもビルトインのQuick sortを使わないでください。




CSVファイルの読み込みと整形は、I/O操作の確認と、文字列操作の確認ができます。

また、整形というテーマは、たとえばテンプレートエンジンを使うなど、かなり応用ができるのでツァイガルニック効果が発露しやすいテーマとなります。これができると意外と嬉しいので、励みになります。




簡単なHTTPサーバは、ネットワークアクセスの基本が学べます。

HTTPサーバを作る前にHTTPクライアントを作った方が速いこともあります。

けど目的はあくまでHTTPサーバです。




HTTPサーバはマルチスレッドと、簡単な構文解析などなど、シンプルだけどいろいろな要素が絡んできます。したがってやりがいもあるというわけです。




きっとみなさん自分なりの「練習問題」があると思うので、上記は一例です。

他にも、「数あてゲームを作る」とか、「ビデオドラッグ風のエフェクトを作る」とか、テトリスを作るとか、プログラマによって独自の「これができたら解った」練習問題があるはずです。




そういうのを比べるのも面白いかもしれませんね。


アメリカのゲームエグゼクティブに共通する特徴


DICEはDesign Innovate Communicate Entertainの略で、主に全米のゲーム会社の経営幹部が集まるイベントです。GDCやE3と違い、誰でも参加するわけではないので、人数は少ないのですが、人がもの凄く濃い。偉い人ばっかりという感じです。




水口さんのお供として、末席でウロウロしてるだけの僕ですが、会場をふらふら歩いていたり座っていたりするだけで「Oh, Are you Mizuguchi-san?」と聞かれて、「No no」と答えたりしつつ、相手の名札を見るとWorld of WarcraftやDiabloで有名なBlizzardのFounderだったり、さっきみたいに学生時代に狂ったように遊んだAge of EmpireのENSUMBLE STUDIOのヘッドだったりして、かなりカルチャーショックを受けています。




このイベントがなぜゲームエグゼクティブのイベントと呼ばれるのか。

たぶん参加費がわずか三日間なのに2500ドルもするから・・・と思ったのですが、アメリカのイベントでは一人3000ドルなどの参加費はザラ。SIGGRAPHやGDCだとそれくらいです。日本だと一人あたり30万円のイベントに1000人単位で人が来るというのはちょっと考えられないかもしれませんが、こちらだとごく当たり前なのです。




ただ、そうしたイベントでは、キーノートなど重要な人のセッションがひとつだけ聞けるExivision Passは2万円くらいなので、2500ドルのパスしか用意されていないというのがひとつの障壁として機能しているのかもしれません。




で、びっくりするくらい日本人が居ない。




ふと、パーティ会場で




 「あ、日本人だ」




と思って話しかけようとしたら、久夛良木さんでした…。もちろん話しかける勇気なんかありません。




というか、それくらい少ないということです。

久夛良木さんは今回、プレイステーションの生みの親としてアワードを受賞していました。

目に生彩が宿っていて、まだまだなにかしてくれそうな気がしました。期待です。




さて、夜はアチーブメントアワードとして、今年(去年)発表されたゲームを総括して表彰するイベントでした。







これがあるからエグゼクティブが集まっているのかもしれません。

アワードでは、Call Of Duty4が賞を総嘗めして優勝していました。




Overall Game of the Yearのノミネート作品は、Call of Duty4, BioShock, Orange Box, Super Mario Galaxyの四作品で、マリオは今回惜しくもひとつも賞を取れませんでした。




アメリカ人は本当にFPS(一人称視点シューティング)が好きだなあという印象です。




小野さん一押しのWorld of Warcraftもネットゲーム部門で受賞し、まあそういうわけで次々と偉い人が出てくるのですが、しばらくゲーム業界を離れていたため、少し新鮮に感じたことがいくつかあるのでメモしておきます。



  • スーツを着ていない
  • ジョークが得意
  • トークが軽妙
  • プレゼン資料が美しい


プレゼン資料というのは、どうやら当然のようにCEOなりが自分で作るものらしいのです。
部下が作ったプレゼン資料というのは、やっぱりだめなのだとか。

ということはアメリカの企業でトップに立つには、まずプレゼン資料を美しく作る能力が必要とされているということです。

あまりにも格好よすぎるプレゼンを見ると、「ほんとにこの人が作ってるのか?」と思うことがありますが、スティーブ・ジョブスやゲイツですら自分で作っているのだとか。

水口さんは一緒に飛行機に乗るときに「やべーぜんぜん書いてない」と言って白紙のパワーポイントを開いていましたが、今日のプレゼンは本当に見事でした。たぶん他の出席者と比較しても一番良かったというくらい。

それなりに奇麗なプレゼンをみんな作ってる訳ですが、特に目を引くプレゼンというのはどういうものなのか、共通点を見つけてみました。

  • 伝えたいテーマとメッセージがはっきりしている
  • 会社オリジナルのテンプレートを使ってる(お仕着せの再利用はしない)
  • ベースカラーとキーカラー、アクセントカラー、それぞれのフォントが統一されている
  • 標準フォント(MSゴシックなど)を一切使っていない
  • 画像がふんだんに使われている
  • ムービーが多く使われている。多いときは1ページに最大4つ
  • スライドの順番が練り込まれている。起承転結がある
  • ジョークを織り交ぜる


水口さんのプレゼンは上記の要素の全てを備えていて、完璧でした。
他にも目を見張るようなプレゼンはだいたい上記の要素を含んでいました。

よくスティーブ・ジョブスはプレゼンが上手いと言われますが、ビル・ゲイツのプレゼンも全く負けてはいません。

僕は2001年のGDCでゲイツが世界で初めてXboxをお披露目するプレゼンを生で見ていましたが、あっという間に会場の心をつかんで、ジョークで笑わせ、Xboxという新しいハードに夢中にさせました。

ゲイツのジョークは時々自虐的で、常に気取っているジョブスとは対極に位置します。
個人的にはゲイツのプレゼンの方がプレゼン自体は上手いと思います。

ただ、残念ながらゲイツの場合、製品自体が人を熱狂させるものでもないのでいまいち印象が薄いのではないかと思います。Xboxのときは異常に盛り上がってましたが。

ゲーム業界は勢いがあってやっぱり実に面白いなあと思いました。久しぶりに。

海外でGEEKなガイジンとフリートークするLifehack


そういえば、僕は空港やカフェなどでガイジンに話しかけられることが非常に多い、ということに気づきました。




ガイジンそのものがそもそもそういう性質なのかと思うけど、それ以上によく話しかけられるのです。




空港という土地柄、スチュワーデスはもちろん、ゲーム屋、タクシー運転手、空港職員、ハンバーガーショップの店員など、いろいろです。




今日もDICEの会場で見知らぬガイジンに話しかけられました。




 「Excuse me, May I have you a question please?」




ガイジンといっても使う英語はこの程度です。




 「Sure, what's up?」




 「Is that a macbook air?」




 「Yes it is」




なんのことはない。Macbook Airが珍しかったのです。

確かに、アメリカにはヨドバシカメラのような量販店は極端に少ないので、最新のコンピュータを見る機会は滅多にありません。だから通販が発達してるわけです。




 「Can I hold it?」




 「Of course」




 「Wao! It's very nice!」




 「Can I touch a pad?」




 「Why not?」




 「Baby! It like a magic!」




まあだいたいこのような会話でした。感嘆符ばっかりというあたりがお国柄ですが、そしたらそのガイジンは結構偉い人だったらしく、いろいろな人が寄ってきました。




 「Oh, Is it latest macbook? Amazing」




 「When did you get?,Where?」




 「Yesterday,My home in Tokyo」




 「You're very lucky guy! My macbook air will deliver at next week」




 「Very nice to meet to you. please hold my business card」




そう言って名刺をくれました。

名刺を見てびっくり







Age of Empireシリーズで知られるENSUMBLE STUDIOのStudio head(社長?)兼Founder(創業者)の人でした。有名なハズだわ。




僕もAoEシリーズは大学時代の青春の全てが詰まっているといっても過言ではなく、大変感激しました。




で、思い出すと、そういえばスチュワーデスに話しかけられたときはパイオニアのミニDVDデッキで映画を見ていたし、ハンバーガーショップの店員に話しかけられたときはVAIO C1でコードを書いていたときでした。




要するにこのライフハックは「とにかく最新の電子機器を持ち歩き、町中で使ってみせること」




するとGeekがどんどん寄ってきます。

GeekはGeekを呼び、いつしかコロニーのようになります。




しかしアメリカ人より早く手に入るとは。ロジスティクスの進歩は凄まじい。

まさに地球はフラットなのですね。


モハベ砂漠で思ったこと


ロスからハマーをレンタルして、モハベ砂漠を横断してラスベガスにやってきました。







そもそもなんでわざわざ砂漠を横断することになったのか。




時をさかのぼること半月前ふと水口哲也さんからメールをもらったのです。




 「DICEに行くついでに砂漠に行こう。何億年も変わらない風景を見て、世の中を見つめ直そう」




そのまま吸い込まれるように砂漠に来てしまった訳ですが、ちょっと想像を絶する光景でした。




当たり前だけど、前も後ろも砂漠。

無人。ただひたすら無人の広野です。




その無人の広野にインターステート15号だけがすっとのびている。




アメリカのフリーウェイにはもちろん道の駅やパーキングエリアなんていう気の利いた者はありません。




砂漠の真ん中にあるガソリンスタンドに寄ろうとしたら休みだったり。




一体全体、カウボーイたちはなんでこんな無人の広野を横断してまで「新大陸」を開拓したかったのか。




車でも4,5時間かかる道のりですから、馬なら何日かかったことでしょう。




へんてこなサボテンみたいな植物









こんなのが無数に生えている地帯があったり。

それはもうさながらスタートレックのようでした。




他にも枯れた運河があったり、へんてこな形の山があったり、まるでドラゴンボールを探しに冒険に出ているような錯覚に陥りました。




しかも、道に街灯らしきものはなく、キャッツアイだけですからね。

広すぎるから街灯なんかに使うお金もエネルギーもないんでしょうけど、凄いなと思いました。

夜は絶対怖くて運転できません。僕は。




モハベ砂漠をひたすら運転しながらめまぐるしくかわる大自然をみて思ったことはたったひとつ。




 「地球って、面白いなあ」




ということでした。




ちょっと移動するだけでいとも簡単にこんなみたこともないような風景に出会える。

大自然の風景というのは、僕みたいなちっぽけな人間の想像を遥かに超えていて、特に砂漠は本当に「一面見渡す限り」という言葉がそのまんまあてはまるような場所で、いろいろ衝撃でした。




ある意味でこれは魂の洗濯なのかもしれません。







到着するとラスベガスはすっかり夜になっていました。

シルク・ド・ソレイユのミュージカルを観覧して(途中で寝てしまいましたが)、軽いディスカッションをしたあと、ホテルに戻ってきました。




明日は水口哲也さんの講演があります。


超リアルCGのパイオニア Paul Debevecが東大で緊急来日講演


空港のラウンジでMacbook Airを堪能していたら、西田友是先生からメールが




 「急なんだけど、2月8日にPaul Debevecに東大で講演してもらうので良かったらどう?」




みたいな内容だったのですが、残念。僕はこれから遠い国へ行かねばならないのです。




Paul Debevec


といえば、超リアルなCGを作るために不可欠な技術、イメージベースドレンダリングの世界的権威。





こんな感じで、今のハリウッド映画とかはDebevecの発明なしには存在しえないと言われています。


よく知られたところだとマトリックスとかの戦闘シーンなどが有名ですね。


僕も凄く憧れていた先端科学者の一人だけに、講演が聞けないのは実に惜しいのですが、もしお時間があれば絶対みた方がいいと思います。とりあえずうちの社員には行くように言います。


2008年2月8日(金)14:30-15:30


入場はもちろん無料。

また、ほかにもnVidiaのチーフサイエンティストであるDavid Kirkや、もちろん西田先生の姿もみることができます。


本物の最先端で活躍する科学者の講演を聞くのは、たとえ英語がわからなくてもいい刺激になると思います。


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