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出張直前にMacbook Airが届いて慌ててインストールしたソフト


今日からラスベガスで開かれるゲーム学会、DICEに行くわけですが、朝起きたら宅急便。







昨日Air用のDVDドライブだけ先にとどいていたから「もしや」とは思っていたのですが…




もう来たら開けるしかないし!







ああもう、これがもう軽くて!軽くて!

薄くて!薄くて!




なんだろう、ヨドバシカメラでみたときとはまた次元の違うこの感動。

これが「所有感」という感じなのだろうか。




もうモテなくてもいい!

バレンタインに何ももらえなくてもいい!

MacbookAirがあるから!




・・・そんな気分にさせられます。

とはいえ、MacbookProで出張に行くつもりだったので、Airを持っていくにはフライトまでにいろいろなソフトをインストールしなければなりません。




慌ててインストールしたのは…




1)JEdit いわずと知れたテキストエディタ

2)Fetch 使い勝手の良いシンプルなFTPクライアント

3)Xampp いわずと知れた開発環境

4)MacPorts いわずと知れたインストーラ

5)Xcode OSX標準の開発環境(これがないとPortsが使えない)

6)Erlang 最近ハマってる関数型言語

7)CocoaMysql データベース操作に便利




あと、本当はAppleRemoteDesktopも入れたかったのですが、箱がどこかに行ってしまって断念。




Apple純正のDVDドライブは思いのほかかっこいいです。さすがという感じ。

でもせっかくならこれもUWBにしてほしかったな。そしたら本当にAirって感じなのに







今回出番はないかと思いましたが、Xcodeのインストールで早速活躍。




しかしMBPに比べると解像度が低いから、やっぱりあくまでも"軽いMacbook"として扱うのが良さそう。コードをバリバリ書くのには全く向いてません。




でもブリーフケースからサッと取り出してパコパコ打つ、とかは普通にカッコいいと思われます。いいなあこれ。幸せ。




SSDなのであんまり入らないのが残念といえば残念ですが、まあそんなに入れなければ平気(本末転倒)です。




MacbookAirはやっぱりメインで使うマシンというよりも、メールとかネットとかをササっとやってサッと仕舞う。そんなマシン。




MBPとどっちを出張に持っていくか迷いましたが、通常の業務に支障が出ると困るのでこの際両方持っていくことにします。EeePCをサブマシンとして持っていく予定だったけど、今回彼はお留守番で。


2時間で億万長者からスカンピンになる気分を体験する方法




 「くそ、資金がもう底を尽きそうだ・・・・」




僕は自分のポートフォリオを見つめて頭を抱えた。

手元の株は老舗の自動車会社、最近メキメキ株価を上げているケータイコマース会社、そして安定した経営の製薬会社。それぞれ単位株ずつ。




合計すればそれなりの資産になる。買った時よりは株価は全体的に上がっている。市場が上り調子だからだ。しかし油断はできない。理論株価と実際の株価がかけ離れているのだ。理論株価に対して実際株価はあまりにも高い。それに毎年、第3・第4四半期は景気が冷え込む時期だ。いまのうちに現金にしてしまうか・・・




 「よし、利食いだ。全部売ってくれ」




証券会社の担当者にそう告げると、僕は現金を手にした。半年で三倍に膨らんだ現金が戻って来た。だから株はやめられない。笑いが止まらなかった。




                   *




秋が来て、冬が来ると思った通り景気が冷え込んだ。

ここ数年、稀に見るほどの大不況だ。




株価は軒並み暴落。

秋が来る前に利食いして正解だった。

このまま春が来るまでじっとしていようか…




そのとき僕はチャートの異変に気がついた。

絶対安定業種と言われている、電力会社の株価が底値を売っていた。理論株価はもっと高い。今のうちにこれを買っておけば、いずれ上がる事は明白だった。




 「●●電力、全力買いだ。思いっきり買い漁れ!」




現金は瞬く間に株券となった。しかし実際に券としての体裁をとっているわけではない。株券という、情報だった。いまどき、実際に株券を発行することは少ない。何年か前、株券の印刷に時間がかかることを利用して株価をつり上げるという手法が横行したときから、株券は有名無実のものとなっていた。




いよいよ決算だ。

これだけの安定業種なら、配当もかなり期待出来る。




兜町の面々を見回すと、みんなこの異変に気づいたようだ。あちこちで全力買いのコールが聞こえる。やれやれ。まるでハイエナだな。




決算がやってきた。

利益は出ている。理論上は、莫大な配当がもらえるはずだった。

しかし決算日のニュースに、僕は目を疑った。




 「サドンデス:理論株価より現在株価が6以上離れている会社は全て倒産」




そんな馬鹿な。

安定業種は絶対倒産しないなんて幻想だったのだ。

僕は自分の甘さを思い知り、静かに兜町を去った。

知人の相場師達も全力買いを入れていたため、かなり手痛い打撃を受けたようだった。




なんてこった。株なんかに手を出さなければ良かった・・・・。




                   *




幸いにして、この話は僕の空想の中で済んだ。

とはいえ僕らの兜町こと、本郷大原ビル2F会議室が悲嘆にくれる疑似投資家達の悲鳴で包まれた部分だけは事実だった。




要するに、絶対倒産しないはずの安定業種が、理論株価と実態との差が大きすぎて倒産してしまったのだ。まさかの大逆転負けだった。




ZAIゲーム(ザイゲーム)は、株式情報誌のZAIが監修した株式市場シミュレーションゲームである。




ボードゲームで、実際に株の売買を行う。市場が今後どうなるかはなんとなく予想できるようになっていて、しかも毎回異なる変化をする。




株価はいろいろな要因で変動し、どの株を買ってどのように儲けるか、ということが勝負になるところは実際の株式投資と同じ。




株を売り買いする度に証券会社に手数料を払わないといけないので、手数料ぶんよりも多く稼がないといけないのも実際の株式投資と似ている。




面白いことにこのゲームは先を読む事はある程度できるようになっている。

倒産の心配がほとんどないが株価の値動きも少なく配当も安定している安定業種、倒産の危険性はあるが配当の大きい普通業種、値動きが激しくリスクの大きい変動業種の三業種に別れ、それぞれ三つの会社の株価が変動する。




これがどう変動するか読むわけだが、基本的に株式投資は殆ど運である。

もちろん、運だけではない。そのあたりが麻雀に似ている。




いろいろな要素が絡んでくることが予想されるけど、実際の株式投資で一番恐ろしいのは、実際にお金がかかる事だ。




せっかくの貯金が目減りしてしまったら嫌だし、それが嫌で毎日ニュースや株価とにらめっこするのも僕には耐えられない。




株は長期保有を前提として持つべきだと思うけど、そもそもどんなふうに買ったり売ったりするのか解るためには、なにかシミュレーションする必要がある。少なくともシミュレーションしないよりはした方がいい。




シミュレーションは現実よりも速い時間軸で流れ、速く決着が付くべきである。

これは戦争の事前演習と似ている。




事前演習が戦争そのものと同じだけ長引いたら演習にならない。




思考実験を繰り返して自分なりの最適解を見つけるのである。




そういう遊びとして、ザイゲームは本当に面白い。株式投資のゲームはいろいろあるが、これほど興奮したゲームは初めてだった。ゲームデザイナーとしても大変興味深い題材である。






一番売れてる株の雑誌ZAiが作った「株」ゲーム

一番売れてる株の雑誌ZAiが作った「株」ゲーム

  • 出版社/メーカー: アイデス
  • メディア: おもちゃ&ホビー



みんなの知的生産力を10倍上げる最も確実な方法


それは日本で英語を公用語とすること。

昨日の続きみたいであざといですが。




英語人口は10億人で日本語人口のざっと10倍近いわけで、英語で存在する文献やネット上の情報源は10倍以上あります。




Youtubeとニコニコ動画のトラフィックの差をalexa.comで見ると、目視で100倍以上の差があり、単なる人口比以上にその差が大きいことに驚かされます。




まあ実際にはこの方法は無茶に過ぎるので、永久にその方法によっては10倍上がることはないわけですが。




ネットが十分浸透した世界では、いかに多くの情報にアクセスし、いかに多くの情報を共有するかということが、結局は集合的知性の臨界点となります。




東京は世界最大の都市となることで知性密度を上げ、それによって高度経済成長を遂げてきましたが、物理的な距離が有利に働くのはネット以前の時代の話です。




実際、ネットが普及してから日本企業の影響力は確実に落ちているように感じます。

例外は自動車産業のように、もともとネットで情報を拾っても生産性が上がったり下がったりしないような隠されたノウハウで戦う産業だけで、いわゆるソフトウエア産業や半導体産業は学会の規模的にも内容的にも残念ながら日本のそれは欧米に劣ります。




たとえば情報処理学会とACM(アメリカ計算機学会)をくらべた場合、ACMの会員8万人に対し、情報処理学会は2万人弱。これは単純人口比で言えばかなり頑張っている方です。




しかしIEEE(電気電子学会)は36万人。情報処理学会と比較していいのかわかりませんが、12倍の開きがあります。




会員数の差は、そのまま論文数の差に直結します。

そして確率論からいけば、論文数は多ければ多いほど良い論文も多いはずなのです。




日本にそうした最先端の研究成果がやってきて、翻訳され、言及され、議論されるまでにふつう一年くらいのタイムラグがあります。




この世界で一年のタイムラグといったら大事件です。

しかし、哀しいかなそれが現実なのです。




だから先端分野の研究者は一所懸命IEEEやACMに足繁く通い、英語論文を必死で読むのですが、どんなに熟練しても遅いことには変わりなく、類似研究を探すだけで一苦労です。




以前、中嶋謙互さんと「プログラム上の問題に直面したとき、検索結果に英文が出てきたら、読み飛ばすか、それを読むか」という話をしたことがあって、中嶋さんは「英文を読んだ方が速いか、日本語を探した方が速いか考えてから次の行動をする」そうなのですが、僕は「英文があるならそれを読んだ方が結局は速い」と答えました。




というのは、日本語を探してもいいのですが、たいていの場合、日本語で言及されていることそのものが無かったりするのです。ここも10倍の法則が適用されます。




ソフトのインストールの問題などではさすがに日本語でも沢山解説がありますが、特殊な事例に対する対処例というところで見ると、日本語の情報量は圧倒的に減ります。




日本語の情報を探しているうちに日が暮れてしまう可能性も否定できません。




たまに英語ですらない言語のページが見つかることがありますが、それすらコマンドの行やコードの内容そのものを読むと思わぬ答えが書いてあったりするので、使えます。ただ、なんと書いてあるのか全くわからないので、「こうしちゃダメよ」なのか「こうするとOK」なのか解らないという問題はありますが。




まあそういうわけで、昨日の話と矛盾するようですが英語は読めた方が圧倒的に有利です。生産性はともかく、知的資源は10倍に増えます。喋ったり聞き取ったりする必要はまたその後かな。




でも日本人は英語を実用的に読む機会がやってくるのが遅すぎるのです。僕は18歳までその機会がありませんでした。これじゃあ遅すぎる。




だから高校か中学くらいから、教科書を全部英語に変える。むしろ日本語が書かれている教科書は英語の教科書くらいで、数学も物理も化学も全て英語の教科書に変える。プログラムの本も全部英語。いっそ市中のマンガも全部英語にして、日本語のマンガは絶滅させる。




それくらいやれば、英語力はめきめきつくと思うのですよ。数学の特殊な言い回しを英語で書かれても混乱しなくなります。




ライフハックというよりも教育政策の話になってしまいましたが、実際そういう学校ってあるらしいですよね。


勉強せずに英語を身につける方法


昨日のエントリが意外な反響を呼んで、まあそういうときに調子に乗って後追い記事を書くのがこのブログのセオリー。




さて、はてブコメントやリファラによると、「そもそもその国際通のCEOを引き抜けばいい」というツッコミが来ていたので、一応それに反応すると




・そもそもそのCEOは自分の会社を経営している

 →そういう人は引き抜くことができないか極めて難しいのです。

  株主に対してCEOは責任を負っていて、降板する以外に辞める方法は殆どありません。

  また、文中でも触れているように年寄りにできることは方向性を示し、支援することだけ

  です。そのために外部のブレーンができることは、暖かい目で見守ることだけなのです。

  これは「自分では何もしないメンターが存在する理由」でもあるわけです。




さて、もうひとつは「英語を翻訳するバイトを雇う理由がわからん」というツッコミです。

「英語を翻訳させるのではなく自分で読めばいい」という意味のツッコミもありました。






 「なぜ自分で英語を勉強しないのか?」






今日はこの話について掘り下げようと思います。




大学時代、夜間学部に進学して昼間はゲーム開発のバイトをやっていたのですが、そのときにフィンランドやノルウェーから来たプログラマとよく交流していました。彼らも英語は母語ではないのですが、彼らと会話するには英語を使うしか無く、拙い英語と数式だけで会話していました。




ハタチになると、マイクロソフトのDirectXにハマるのですが、もう英語しかドキュメントがないので必然的にそれを読むことになりました。コメントなども当然、全て英語。そのお陰で、DirectX関連の本を執筆して少し儲かりました。また、3D関連の書籍も、当時は日本にろくな本が無くて、英語の本しか手がかりがありませんでした。だから必然的に読まないといけない状況に追い込まれたのですね。




それが縁でマイクロソフトのイベントでスライドの翻訳をしたり、公式マニュアルの翻訳をしたりといったアルバイトを経て、初めて社会人として仕事をしたのはシアトルのMicrosoft本社でした。




その仕事は英語のドキュメントさえ存在しない複雑なOSとSDKを日本人に解りやすく説明したり、技術的な問題点を日本国内の開発現場から汲み取って本社にエスカレーションしたりといった内容で、やはりこれも必然的に相手は英語で話しをするのでした。




帰り際、




 「リョウは今まで来た日本人の中で一番英語が上手いな」




と言われました。

これには僕も驚きました。なぜかと聞いてみました。




 「他の奴らは決して馬鹿じゃないんだけど、シャイなのかあまり話をしてくれないし、こっちが話しかけると嫌な顔をするんだよ。リョウは文法はメチャクチャだけど、言いたいことは解るし、わからないなりに話を聞いてくれるだろう」




全く英語に関する特別な教育も訓練も受けていなかった僕でしたが、いわゆるガイジンを珍しいと思う感覚が無かったため、と、きっと英語をまともに勉強してなかったため、文法で迷わなかったのでそのぶん反応が速かったんだと思います。




そのとき宿泊したホテルで、泉ピン子そっくりのメイドさんが来てくれたときに、「このお菓子、いらないからあげますよ」と話しかけたら、「 I can't speak English」と言われて衝撃を受けました。英語喋れなくてもアメリカで働けるのか!ということにです。




それから何年かして、僕はアメリカのゲーム開発者会議(GDC)で講演することになりました。




この時はさすがに緊張して、普段は絶対に原稿なんか書かないのですが、スピーチ原稿を書いて、渡米前に何度も練習してからプレゼンに臨みました。




会場は満員で、東洋から来たわけのわからないゲーム屋(このときは携帯電話ゲームの話でしたが、日本人が携帯電話ゲームについてGDCで講演するのは初めてでした)の話をこんなに沢山の人が聞きに来るとは衝撃でした。




いざ話が終わり、アンケートを回収すると、驚いたことに殆どの人が書いた「コミュニケーション能力(スピーチは解りやすかったか?発音は良く聞き取れたか?)」は満点の5でした。




これには本当に驚きました。




どうやってスピーチしたのか、その秘密は実に狡いところにあります。




まず、僕は日本語で原稿を書いて、それを在米経験の長い部下に翻訳してもらいました。

さらに、彼女にネイティブに近い英語で原稿を読み上げてもらい、MP3ファイルを作りました。

そのMP3ファイルをヘッドフォンで聴きながら、僕は自分でスピーチしたものを別のコンピュータに吹き込み、それを聞き返して違和感のある表現を徹底的に反復練習しました。




自分の言いたいことが英語になっているだけなので、凄く表現が解りやすかったし、やりがいもありました。




それを一週間繰り返すと、殆ど彼女が話すのと同じイントネーションで話が出来ていることを確認しました。




なんのことはない。正しい発音という"答え"を知っていただけなのです。




でも、その講演がきっかけで、ゲーム業界としては世界最大のイベントであるE3でスピーカーとなることができました。E3のスピーカーはGDCにくらべると格段に少なく、しかも選ばれないと喋ることはできないのでとても光栄なことでした。




それに、GDCではアラバマから来た人やアリゾナから来た人、ノースカロライナから来た人などなどと逢いましたが、みんな発音がぐちゃぐちゃでぜんぜん聞き取れませんでした。でも、同行した人が「彼の発音はaとeが入れ替わっていてとても聞き取りにくい。アラバマ訛りが強すぎるね」と言ったとき、僕は「そうか、カタカナ英語も日本訛りの英語だと思えばみんな赦してくれるのか」と思いました。要するに、英語力なんて、その程度のものなのです。




外交通で知られる宮沢喜一元総理のスピーチなどはカタカナ英語過ぎてひどいなと思っていたのですが、そもそも通じればカタカナでも赦して貰えるものなのです。これはとても大きな収穫でした。




さらにその年、シアトルで新しく立ち上げる会社のVice president(日本語に直訳すると副社長。実際には課長くらい)にならないかというオファーを貰いました。同僚は全部アメリカ人。それでもうまくやれそうな気がしました。




彼らとは、時には喧嘩もしましたが、今でも時々メールをやりとりするくらいの仲です。




独立してUEIという会社を作ったとき、最初に仕事をくれたのはシアトルの彼らでした。




僕は今でも海外からいろいろなメールを貰いますが、読めないくらい難しい英語というのは、あまり使われていない物です。




相手もこちらが東洋人だと解っているので、そんなに難しい表現は使わないのです。




また、辞書さえあればたいていの英語は翻訳することが出来ます。

これは勉強するというよりも、慣れれば誰にでもできることです。




しかし問題は、母語ではない英語を読むのは、母語である日本語を読むより遙かに時間が掛かると言うことです。




実は、今年の初めに考えていたのは、うちの社員に英会話講座を受講させるか、受講を支援するような制度を社内に導入するということでした。




しかし冷静に考えると、英会話なんか現地にいけば誰でも出来ます。

実際、うちの会社は全く唐突に新入社員を連れてアメリカの学会に行ったりしますが、誰もそこで困ったりしません。彼らは要するに英会話ぐらい充分できるだけの英語力があるのです。




このレベルからさらに英会話ができるレベルまで引き上げるのは並大抵のことではありません。

それに、自分から進んで学ぶならともかく、会社から強制的に通わされて、果たして英語を読む気持ちになるでしょうか。




さらに言えば、比較的英語に抵抗が少ない、要するに翻訳みたいな仕事をしていた僕ですら、digg.comやreddit.comのニュースから一瞬で面白い情報を見つけ出すのは一苦労です。

はてブなら、見出しを見た瞬間に面白いか面白くないか解るのに、これは不幸なことです。




これを抵抗無く読める状態までには、さらに多くの時間が必要になります。

人生は短いので、こんなことに時間を使っても、日本人なんだから今更どうしようもありません。




本当に英語が解る人だけを雇いたいなら、アメリカで会社を作ればいいのです。

しかし、昨日のエントリにもあるように、そもそもアメリカ人だって全部が全部成功しているわけではないのは当たり前です。ロスの街を歩くと、ホームレスがあちこちに居ます。英語が出来るか出来ないかは、成功の条件ですらないのです。




だとすれば、情報収集という目的に特化した英語翻訳専門の部隊が独立していたほうがよほど有効に時間を使えるという物です。しかも、社員全員に英会話教室に通わせるよりも遙かにローコストで可能なのです。




例えばandroidの仕様書を全部読み解くのに英語だと100ページもあったら1日掛かりますが、日本語だったら数時間で読めます。




日本語のWikipediaよりも英語のWikipediaの方が圧倒的に多数の情報が集まっているという点だけを見ても、集合知の世界に於いては同一言語を使っている人間が多ければ多いほど有利なのです。




でも不幸にして僕らは日本人として生まれてきてしまった。

それはもうやっぱり永久に覆らない。




また、逆説的ですが、僕はシリコンバレーよりも東京の方が遙かに優秀な人材を集めることができると思っています。




その理由は単純に人口密度です。

カリフォルニア州は全米最多の人口を誇り、その数は3600万人ですが、シリコンバレーの中心部、サンタクララ群は160万人しか居ません。




東京都は1200万人、いわゆる首都圏では3000万人に達します。




単純な人口比だけでなく、技術者の質という面で考えると、確かにシリコンバレーは技術者寄りの人が多いでしょうし、質も高いのだと思いますが、単純に学生の数だけ考えればやはり東京の方が多いのです。




サンタクララ群の18歳から24歳の人口は約16万人。東京都だけでも20〜24歳までの人口は79万人と4倍以上多く、また、優秀な才能を持った人間が、ニューヨークやワシントンといった場所に広く国中に分散してしまうアメリカと違い、日本は最高学府である東京大学を筆頭に、数々の名門大学が首都圏に集中しています。




技術者に限定しない、いわば「知性密度」で考えても東京は世界トップクラスの土地であると言えます。




ここに生まれたことを不運と嘆くよりも、むしろ東京という日本の頭脳が集結する場所があることを逆に利用することを考えれば、優秀な開発者に英語の勉強をさせるよりも目の前の研究を優先させた方が良いに決まっています。




それに必要性があれば、言葉は自然に覚える物です。




もうひとつ、重要なことがあります。

たとえばデーブ・スペクターやケント・デリカットのように、日本に来ているタレントは沢山います。




しかし彼らの日本語はどこかいびつです。

完璧に一緒にはなりません。




英語を良く喋る日本人も同じだと考えることが出来ます。




日本人であることをやめることはできないのです。




さらに言えば、たとえば日本人であっても、日本語に堪能とは限りません。

英語も同じです。




アメリカ人であっても英語に堪能とは限らない。




僕は昔、編集のバイトをしていたことがあったのですが、素人の書いた文章というのはどうしても校正しないといけません。その校正する能力そのものは、日本語を使っていても、かなり教育されて、磨き上げなければならないのです。




そんな人が滅多に居るわけもなく、要するに単に英語が喋れるだけでは、英語圏向けの製品に使うような説明書やドキュメントを正しく書くことはとてつもなく難しいということだと思います。




誰かが言っていたのですが、たとえば昔「一太郎」というワープロソフトがあったときに、「L:Load(読み込み)」というメニュー項目があったと。これはアメリカ人にとって気持ち悪いのだという話です。




で、これはWordでは「O:Open(開く)」なわけです。

どちらも意味として正しいけどニュアンスとして可笑しい。




香港あたりで売っている、アヤシイ日本語の製品がまさにそんな感じです。だから笑えるのです。




むかし、ラグナロクオンラインが日本に来たときに、日本語が可笑しくて「重力語(開発元がグラビティなのでそう呼ばれた)」とか呼ばれていましたけど、ああいう感じです。




要するにある一定以上堪能になりたかったら、海外に住んで外国人と結婚するくらいの覚悟が必要ということだと思います。




UEIのバイトの採用試験は辞書持込み可能の長文読解がメインです。




履歴書に「TOEIC800点」なんて書いてあっても、ぜんぜん解けない人も一杯居ます。

じやあTOEICって意味ないか、その人が嘘をついているのでしょうと思ってしまいます。




英語のテストに辞書が持ち込めないとしたら、それは単なるクイズゲームです。

日本語の文章だって解らない言葉なんか一杯あるはずです。

ましてやインターネットで瞬時に単語を検索できる現代において、辞書の使えないテストなんていくら点数をとったって自慢にならないと思います。




UEIの正社員の入社試験にも、英語の長文読解が出ます。

自信満々の人ほど、正しく読み解けなくてガッカリします。

おそるおそる書く人ほど正解に近くなります。

自信満々の人は、読めてると思いこんでいるだけで、読んでいないんでしょう。こういう人は英語に限らず日本語すら読めていないのだと思います。




出す英文も、特殊なものではなくて、単にアメリカのニュースサイトにある英文を引っ張ってくるだけです。




ニュースになるような英文ですから、特殊な文法なんか一切使っていないのです。

それでもちゃんと読めないとしたら、困りますよね。そもそもそれは英語を読めてないんじゃないかと思うのです。




だからまあ英語力を鍛える訓練をどうしてもしたいというのなら、興味のある分野の最先端の文献をamazonかなんかで取り寄せたり、オンラインゲームをやったり、アメリカのニュースサイト、とりわけdiggとかをじっくり読む時間を、週に一日でも良いから設けるといいと思います。




それを翻訳して自分のメモとして残せば、それなりに財産になりそうです。

あとは字幕なしで映画でもみて、台詞をマネして喋ることですね。




これはビックリするくらい発音が上達します。

子どもが大人の口まねをするのと同じです。




要するに特別なプロセスなんか必要ないと思うのですよ。赤ん坊だって英語を喋ってる。




それでも英語ドリルは売れるし、英会話教室は繁盛するのでしょうけどね。


グローバルニッチ。日本人としてどこまでやれるか


昨日、汐留のヴィラ・フォンテーヌのロビーで、某社の社長と偶然会いました。




彼は一橋出のMBA取得者で、全米を席巻したとある商品の在米担当者を経て、世界最大のコンテンツ企業グループ会社のCEOを経験したこともある国際通。僕より10歳以上年上ですが、とても気さくな方で、逢う度に彼の言動やビジョンにはいつも感銘を受けています。




そんな彼と偶然出くわしたのも何かの思し召しか、ということでコンラッド東京のスカイロビーで浜離宮を見下ろしながら世間話をしたのでした。











 「最近、清水の会社はどうなの?儲かってる?」




 「それほどではないですけど、お陰様でなんとかやれています」




 「そう。何人くらいになったの?」




 「バイト含めて30人を少し超えたところです。昨日、5人増えました」




 「5人も一気に増えたの?大丈夫かよ」




 「いや、5人ともアルバイトですから。一日最大2名が同時に来るだけで、

  人件費としては月間トータルで2名ぶん増えるだけです」




 「なるほどねー。そんなにバイト雇って何させるの?」




 「翻訳です」




 「翻訳?翻訳って英語とか?」




 「ええ」




 「なんか海外の仕事始めたの?」




 「いえ。ぜんぜん。そうではなくて、まずは海外のニュースを片っ端から日本語訳

  して貰おうと思って居ます。徹底的に英語のニュースを拾い上げて、社内で共有する」




 「そういうサイトとか一杯あるじゃない。それとどう違うの?」




 「その情報は社内だけで共有するし、彼らは社内のためだけに情報収集します。だから

  面白いニュースではなくて会社にとって重要なニュースだけを専門的に探すのです。

  それはニュースに限らず、重要人物のブログだったり、話題のWebサイトだったり

  多岐にわたります。徹底的に最先端の情報を集めて、まずは社内を世界最先端の情報

  で満たす。日本のニュースサイトに出る情報というのは大衆向けで、面白いのですが、

  実際に役に立つ情報であることは希です。僕らが作るのは、世界の動向を知るための

  情報組織です」




 「ちゃんと仕事してるねえ。それでどうしようっていうの?」




 「海外向けのサービスを作ろうと思っています。

  言語圏の人数だけ単純に比較しても、日本語1億5千万人に対して英語圏10億人と差が

  あるのですが、インターネットにおいてはその差はとてつもなく大きいのではないかと

  思うのです」




 「日本のめぼしい輸出産業はクルマと電気製品くらいしかないんだよ。あとはゲーム」




 「もはや国産ゲームの売上は7割が海外での売上と言われています。海外市場を無視し

  てはソフトウェア産業はもはや成り立たないのです」




 「やはりそういう考えになるか」




 「違いますか?」




 「いや、ディティールはともかく、大枠としては違ってないんだけど、重要なことがあ

  るんだ」




 「というと?」




 「僕も君も日本人だと言うことさ。幸か不幸か日本人に生まれて、君は日本で30年も暮

  らしてきた。多少海外との交流はあったとしても、だ。それは受け入れなきゃ行けない」




 「僕らはアメリカ人ではない、と」




 「そう。アメリカ人じゃない。どんなにそれを真似しようとしてもね。それに、アメリ

  カ人だって、全てのアメリカ人が大成功しているわけじゃない。成功した一部のアメ

  リカ人とそうでない無数のアメリカ人について考えるべきだ。失敗する奴も無数にい

  る。




  日本には150万の企業があるが、創業10年で何パーセントの会社が潰れるか知ってる

  ね?」




 「約95%です」




 「創業5年では?」




 「50%」




 「確かにそう言われている。君はようやくその50%の壁を突破したに過ぎない。

  日本に存在する会社社長の少なくとも半数よりはマシだということでしかない。

  これから5年はさらに厳しい。殆どが潰れるのだ。どうしてだと思う?」




 「同じやり方のビジネスで10年生きるのはとてつもなく難しいということだと思いま

  す。会社を創業して、3年までは知人のつてを頼って仕事が来ます。みんなが応援し

  てくれる気分になる。しかし、その3年は試練の時です。自分が経営者としてリーダ

  ーとして相応しい器なのか、実は試されている。」




 「・・・続けて」




 「最初はお金に余裕があることが殆どです。貯金か、第三者からの調達か。とにかく

  サラリーマン時代には見たこともなかったような大金を自由に使うことになるので

  す。そして事業が回り始めると、大量の現金を手にすることになる」




 「そこで大抵の人間は自制心を失う。ムダなことに金を使うようになる。酒、女、ク

  ルマ、家・・・あとはお決まりの転落だ。誘惑も増える。他にもポルシェとかフェ

  ラーリとかな。もとが貧しい連中は少し金回りが良くなるとすぐそういう玩具を欲

  しがる。飲み食いの値段もあがる。当然、仕事も疎かになってくる。自分を特別な

  人間だと勘違いし始めるんだ」




 「それに、同じやり方で商売が長続きすることは少ないですよ。時代の流れの方が速

  い。それについて行くためには常に先へ先へと未来を見通して、それに向かって舵

  を取る必要があります。遊んでいる暇なんか全くない」




 「わかってるじゃないか。去年は随分海外に行ったみたいだけど、次の五年は見つか

  ったのか?」




 「お見通しですね。次の五年は海外にあると思っています。海外でいろいろな体験を

  してみて、ホンダやソニーがなぜ技術の会社と呼ばれるのか、僕はその意味を勘違

  いしていたことに最近気づいたんです」




 「それは?」




 「技術の会社は、画期的な技術を作りさえすればいい、という勘違いです。実際には

  そうじゃない。ホンダもソニーも技術を作り出すだけでなく、それを製品という形

  にして世に出している。クルマや電化製品に言語依存性は少ないから、世界中で売

  ることが出来るのです。これは任天堂やスクウェアも同じです。つまり、技術は単

  独では商品にならず、それをパッケージして使い方と一緒に提案してこそ世界展開

  が可能になる」




 「その通りだね」




 「でもそこで少し躓いたんですよ。果たして僕らはどうやって世界に通用する製品を

  作ればいいのか?そもそも世界に通用するとはどういうことなのか」




 「それで、君も僕も日本人だということが問題になる。日本の文化で、日本の言語で

  生まれて、育ってきた。まず日本以外の国のことをもっと知らなければならない。

  もっと世界の広さを知らなきゃならない。しかしどれだけ知っても、決して日本人

  であることをやめることはできないんだ」




 「そうなんですよね」




 「そこで日本人であることを肯定して生きるか、否定して生きるかの違いは大きいと

  思うね。コンテンツなんていうものは元来ニッチなものだ。でもそのニッチは日本

  国内だけのニッチなのか、それとも世界に通用するニッチなのかという違いがある。

  僕はグローバルニッチ・カンパニーを目指そうと思ってやってるよ。ソニーだって

  任天堂だって、乱暴に言えばそうだろう。一分野に集中してそれで大きな成功を得

  ている。ソニーは家電メーカーだが、白物家電、要するに冷蔵庫や電子レンジは作

  ってない。ディズニーのアニメは全ての人を魅了するわけではない。けど世界中に

  ファンがいる。それがグローバルニッチということだ」




 「グローバル・ニッチ。良い言葉ですね」




 「まず何からやるんだ?」




 「情報を集め、若い連中を雇って研究開発に専従してもらいたいと思います。

  既に学生アルバイトで来ている人間を中心にタスクフォースを作りました」




 「学生が中心なの?」




 「いつの時代も、学生こそが世の中を変えるんですよ。ゲームも、アニメもそうで

  した。マイクロソフトもSUNもグーグルも、大学生が作った会社です。革命を起

  こすには、若い力が必要なのです」




 「学生に対しておまえがしてやれることは?」




 「情報、環境、資金の援助、それに経験からのアドバイスです。年寄りにはそれ

  くらいしかできることがない」




 「お前が年寄りとか言うなよ。ま、お前のやり方でどこまでできるか、楽しみにす

  るとしよう。おれはそろそろ行くよ。君も来週のDICEには来るんだろう?」




 「ええ」




 「OK。来週ラスベガスで逢おう」




グローバルニッチ。僕にそれを見つけることが出来るだろうか。




P.S. ちなみにこういう仕事をする学生さんを2月中旬まで募集中です。


UEIは未踏研究を専門に行う学生プログラマーを募集します

今年のUEIの目標は、15個の新規のネットサービスを考案し、海外進出の橋頭堡を築く事です。


既に、英語の翻訳(和訳・英訳)を専門に行う学生チームを結成し、海外の最新技術情報を定期的に日本語に翻訳して社内で共有したり、社内の研究成果を海外に発表するための論文作りやその他広報活動を行って行く予定です。



さらに、新サービスの研究開発を専門に行う学生プログラマを募集することにしました。
今回の募集はアルバイトです。



これは、社会人だとどうしても責任ある仕事を任せなければならないのと、未踏分野の新規研究に専従するにはそれなりに幅広い知識や発想が必要なのですが、普段会社にこもっていると、どうしてもそういうものに縁遠くなってしまうからです。


そこで大学生のアルバイトを雇い、新分野の研究に専従してもらおうと思います。
仕事内容はクライアントの依頼を受けて何かをするのではなく、基本的には自分で研究テーマを見つけて、研究開発をやっていただきます。


そのために必要な環境、ハードウェア、学習のための資料などを用意し、新サービスを魅力的なものに仕上げるためのデザインや素材づくりは全てサポートします。必要に応じて学会などへの参加費や、渡航費なども会社から支給します。


その他の細かい条件は以下の通りです。


 


 応募資格: 都内近郊の大学生、大学院生または専門学校生
 勤務地   : 東京都文京区本郷 (最寄り駅・丸ノ内線本郷三丁目 / 都営浅草線本郷三丁目)
 勤務時間: 自由。目安として週4〜8時間程度。10:00〜22:00の間のいずれか。
 使用言語: 自由
 報酬  : 時給1500〜2500円(能力・実績に応じて変動) / 勤務日数が多い場合は月給制
       開発した研究成果が利益を産んだ場合、それに応じたインセンティブを支給

 応募方法: 住所・氏名・生年月日・電話番号・ブログがある場合はURL・所属大学名
      それと興味のある研究分野とそれまで自分が書いたプログラム(課題等は除く)
      のサンプルを添付して、
info@uei.co.jpまでメールしてください。
 募集期間: 2008年1月31日から2008年2月14日まで
 募集人数: 若干名



どんな研究を主にしているかというと、たとえば携帯向けフルブラウザのサイトスニーカーや、立体3DブラウザのSiteSneaker2007のような、すぐにはお金にならないけどインパクトのある研究のほか、感情検索エンジンfeelfind.net勝手にブログ評論、それにあきば電脳ライフ、そして電脳ホワイトボードのように、流行りものの技術とその組み合わせを試すようなものなどいろいろです。


UEIには電脳空間カウボーイズのメンバーを始め、様々な業界のエキスパートや大家が出入りしており、特に布留川英一くんのように沢山の本を書いている人や、水野拓宏くんや僕のようにIPAの未踏ソフト創造事業で天才プログラマーの認定をもらった人など、刺激的な人が沢山集まっています。


ぜひ熱意のある方の応募をお待ちしております。


 


チームラボ猪子さん、サルガッソー鈴木健さん、オプト海老根さん新年会


昨夜はメチャクチャ面白い新年会でした。

久しぶりに二日酔いで頭痛するくらい。







場所は浅草橋にある河田邸というリノベーション物件。

屋根が腐り落ちている一軒家をまるごとリフォームしてお洒落な設計事務所に。




セルフリノベーション


と称して毎週の週末にリフォーム。ここまでくるのに二年かかったそうです。


ここに集まったのが、チームラボ


の猪子さんとサルガッソー


の鈴木健さん、そしてオプト


の海老根さんと僕という不思議メンバー。


殆どゲリラの集会みたいな危険な空気がムンムンしてました。


猪子さんたちが発明した「めもデスク」は凄く魅力的な商品



机の天板が丸ごとメモなんです。


次世代コラボレーティブコンピューティングの原点はこれだ!と思いましたね。まさに慧眼。よくこんなの作れるなあ、と思いました。


発想も凄いけど、実際につくっちゃうことも凄い。

家一軒まるごとつくったり、机をつくったり。イノベーティブ過ぎる。


あと、茶室。



これみてもなんだかわからないと思いますが、ゴムの壁でできた茶室なんです。

人呼んでやわらか茶室



中はこんな感じらしい。


このメイドさんは一体なんなのか不明です。


得体が知れないけど格好良過ぎる。

チームラボ凄いなと改めて感心することしきりでした。


なぜ茶室なのか?

この二畳の中になにがあるのか


で、ゴムの壁はなぜ必要なのか


全てに意味がいり、全てが理にかなっているんです。


ゴムの壁はそれをつきやぶって中に入るときに感じるイニシエーションのための演出。

わずか二畳のスペースは、必然的に互いのパーソナルスペース(テリトリー)を侵し、そのことによって心理的な距離が急速に接近します。


猪子さん曰く、「取材に来たはずの人が茶室に入ると、逆に自分の話を、プライベートな話をして返って行く」のだそうです。


 「茶室を広めたのは織田信長だ。そうして織田信長は広範囲な情報を得ていた」


と、猪子さんは語ります。

日を言うと僕もオフィスに茶室が欲しいと思っていたところで、これはなかなかいいな、と思ったのでした。


この話って凄く共通性があって、むしろ取材に来た人に逆に自分の話を語らせた方がいい。

なぜかっていうと、人間は自分の話が大好きだからです。


一期一会という言葉がありますが、まさにそのときしかその人に会わないからこそ、通り一遍の

表面的な話ではなく、腹を割った話をしてもらいたい。そうやって情報を得る訳です。


そして、取材に来た人はみんな「こんなに楽しい取材はなかった」と満足して帰って行くのだそうです。


それも凄く重要な話で、要するに自分の話をたくさん聞いてもらえて楽しかった、ということです。


話を聞きに来たはずの人に話をさせて、それで満足させて帰す。まさに現代の千利休のような発想。これこそが真の「おもてなし」です。


この茶室、チームラボさんが売ってるらしいので買おうかと思ったんですが、それもなんとなく悔しいので自分でも会社に茶室をつくってみようかと思います。


そんなことできるかな?




他にもいろんなアートの話やミラノの話、組織の話やコンピュータの話などなど、とても散漫な話をして盛り上がりました。


とりあえず、猪子さんが新しく作る空間デザインのイベントが4月にミラノであるらしいので、僕も行く事にしました。ミラノのホテルが7倍の値段になるそうです。


ミラノサローネ









スクリプト言語の美学


404 Blog Not Found:「PHPなめんな」と「(Perl|Python|Ruby)をなめんな」の違いとか、Matzにっき Attacking PHPとかを見て




 「そういえば最近、"結局PHPばかり使っている"という理由でJavaを使うのをやめる方向にしたなあ」




ということを思ったのでメモ。




PHPに関するご批判については全くお二方のご指摘の通りで、ぐうの根も出ません。

まあ一言でいえばPHPはアヤシイ言語です。




他のいろいろな言語と違ってPHPだけはZendという会社が一手に実装している感じがあり、コミュニティが作っているというよりも会社が作っているように見えて、オープンソースなのにイマイチ"参加者がつくっている"感じがしない言語としてもちょっと毛色が違うのかな、と思います。




それでも最終的に僕が商売人としてPHPを選択してしまう理由。




1)最初からインストールされていることが多い




2)教育環境が揃っている




3)他の全ての言語と異なり、Webアプリケーションの記述を主目的として作られた言語である




たとえばPerlで構築した方が都合のいい環境、というのもあるのですが、Perlはやはりもっと汎用的な言語なので、Webアプリケーションを書くときにいくつかのお約束を満たさなければなりません。




Rubyはもう少し複雑です。Railsを使えば良い、という話もあるのですが、Railsのお約束を学ばないといけません。




でもたいていのWebアプリケーションって、そんなに複雑なことはさせないのです。




個別のアプリは単純化されていて、全体として複雑になることはあるかもしれませんが、それでもかつてオブジェクト指向がないと絶対に無理、と言われていたようなことというのは、あまりなく、過去の資産の継承というやつも、同じデータベース構造を使うとか、RESTfulなAPIを実装して粗結合するシステムを作るなどしてたいていのことは解決できてしまうのです。




また、PHPで書かれたソースを見せられて、それを誰かが読み解くのはとても簡単なのですが、JavaやRubyのコード、とりわけ複雑なフレームワークで作られたソースを見て、それが何をしているのか読み解くには言語そのものの知識だけでなくフレームワークの知識も必要になり、何倍も時間が掛かります。そもそもJavaはパッケージによってクラス名が被っていたりとか、名前が死ぬほど長かったりして恐怖感すら感じます。




  InputStream is = new BufferedInputStream(new FileInputStream("foo"));




を見てですよ、なぜInputStream = new FileInputStream("foo")ではだめなのか、なぜBufferedInputStreamを介す必要があるのか、理解するだけで数分は浪費します。

こんなの




  $fp = fopen("foo");




と書けるPHPの方がラクに決まっています。




HTTP上のリソースにアクセスするために




  URL url = new URL("http://www.debian.org/");

  HttpURLConnection urlconn = (HttpURLConnection)url.openConnection();

  urlconn.connect();




  BufferedReader reader =new BufferedReader(new InputStreamReader(urlconn.getInputStream()));

  while (true){

    String line = reader.readLine();

    if(line==null)break;

    System.out.println(line);

  }

  reader.close();

  urlconn.disconnect();




と暗号めいたことをやるJava(上記の例はこちら参照)に対し、




  $fp = fopen("http://www.debian.org/");

  while(!feof($fp)){

    echo fgets($fp);

  }

  fclose($fp);




で済んでしまうPHPはC言語育ちの目から見て実に馴染みやすいわけです。

Rubyだったら格好良く




  require 'open-uri'

  open("http://www.ruby-lang.org/") {|f|

    f.each_line {|line| p line}

  }




などと書けるのですが、open{|f|}とか、f.each_line{|line| p line}とかを見て、Rubyを普段使ってない人が理解するまで相当の時間を要します。




QWERTY配列に対するドヴォラック配列というか親指シフトっぽい感じで、効率的なんだけど不気味な感じが否めません。慣れると戻りたくないくらい気持ちいいんですけどね。それは本当に悩みどころです。




でも僕しか使えないとすると、そもそも言語として業務で使えないし、まだ業務でRubyを使うのは、実利というよりも技術者の趣味という感じがするのですよ。とかいうと無数に反論を頂きそうですが。




B2C向けサイト作成がメインのうちの業務で本当にお客様にRubyで作ったシステムを納入して、場合にも依りますがあらゆるオーバーヘッドを差し置いても大丈夫だ、といえる可能性は結構低い気がします。




たとえば「年内に10万人から100万人規模のサービスをやるからシステム規模を出してくれ。けど予算はこれしかない」と言われて、「わかりましたRuby on Railsでやりましょう」とはなかなか言える勇気はありません。よく、「RoRが遅いならサーバを増やした方がいい」と言われるのですが、サーバが増えると純粋に土地代がかかるので、それを補って余りあるメリットって本当にあるの?と言われるとやっぱり「いやあどうなんでしょう」と答えるしかない。Perlとかは「mixiも使ってます」とか、Pythonとかは「googleも使ってます」で逃げることもできますが、Rubyは「twitterも使ってます」「けっこう落ちてるじゃない」と言われてしまう(実話)。




そのうえ、PythonとかRubyとかややマイナーな言語で書くという話をすると、将来的にうちではない別の会社に改良や引き継ぎをしてもらう可能性を考慮すると出来るだけ沢山のベンダーが使える言語で書かれたモノの方が保守コストも安いわけで、PHPで記述するということはそれだけメリットがあるのです。




そういうときに「Rubyじゃないほうがいいんじゃないの?」と言われてもぐうの音も出ないので、JavaやPHPを使うと。まさに事なかれ主義。でもそれが零細企業の現実です。




さらに言えば、PHPの各ファイル(スクリプト)同士はデータベースを介在するか、もしくはRESTfulなやり方で粗結合するとか、とにかく外部的なインターフェースをPHPに依存せずに作るので、極めてどうでもいい処理はPHPで記述して、よほど複雑だったり、よほど違うことをしたりしたい場合に他の言語(たとえばJava)で記述する、といったことが今は簡単なので、PHPで小さいスクリプトを沢山書いた方が、実はかゆいところに手が届いていくのです。




C++がどんなに醜いアヒルの子と言われようと、上品で血統書付きのObjective-Cよりも世間に受け入れられたように、PHPがどんなにマヌケな言語だろうと、受け入れられてしまっているのだと思いますね。結局K&R的というか、見た目のエレガンスさよりもコモンセンスを受け継いでいることが需要、というか。






少なくとも僕みたいに業務でコードを書いてない人間にとってはPHPはちょっとかじったRubyやPerlよりも何倍も便利で使いやすく、結局メインで使っていたC++やJavaよりも手に馴染んでしまいました。




去年趣味で書いたコードは凄く沢山ありますが、殆どがPHPとJavascriptの組み合わせだけです。それぞれのコードは100〜500行前後で、凄く大袈裟な奴でも1000行くらい。

それだけ短いと開発時間は数十分から数時間。




たとえば勝手にブログ評論の最初のバージョンは30分で作って、それをローカルからサーバに転送するのもアップロード一発なわけですが、RubyやらJavaやらだとわりとどんな設定で動かすか考えたりするのがそもそも面倒で、テスト環境から公開環境へのデプロイそのものがなんだか凄く「仕事」然としてしまいます。




後先考えずにノリとスピード感でへんてこなものをバンバンつくれるPHPは、やっぱり楽しい。




PHPの、目を疑いたくなるというか、耐えがたい仕様というのも確かに無数にあるのですが、Webアプリケーションって実は言語そのものよりもデータ構造による制約を受けていることの方が圧倒的に多くて、言語が変わることよりもDBMSが変わることの方が意味が大きかったりします(だからPHPのDB関係の関数の実装は耐えがたいもののひとつではあるのですが)。




PHPってC--かな。デタラメでテキトーなところが。




汚いしテキトーだけど、たいていの欲しい機能は最初から揃っている、というのがPHPの最大の利点かもしれません。




RubyもPerlも、そもそももともとWebアプリケーションのため「だけ」の言語ではないから、ライブラリやフレームワークを必要とする時点でちょっと面倒になってしまいます。




PHPと(Perl|Python|Ruby)の違いは、その主目的ということに尽きるでしょう。

PHPの方がレイヤーが一段上というか、古来からの意味でより"高級"なのです。これを同列に比較してしまうと、そもそも実は違うのではないでしょうか。敢えて比較するとすればPHP vs eRuby、とかでしょうかね。この場合、eRubyの弱点は最初からインストールされていないことくらいです。




 「初心者にはとっつきやすいがそのまま上達してもろくなコードが書けない」




という点は、すごくかつてのBASICに似ています。




本来スクリプトって、ラクをするための疑似プログラム言語だったハズなので、ラクであるに超したことはないのです。




脆弱性の問題とかは、プロトタイプを渡されて製品を実装する人が考えるべきことですが、まあそれはJavaで書いていても脆弱なコードはポンポン生まれますからね。しかも時代が進むにつれて攻撃方法や気をつけるべきことも進化してくるので、これはもはや技量の問題ではないかと思います。少なくとも脆弱である原因を言語処理系や言語体系に依ってはいかんのではないかと。




僕みたいなジジイは、連想配列とforeachと正規表現とHTTPストリームが当たり前のように使えるというだけで、あとはJavaやC++の悪いところも含めてマネできます、という言語のほうがやっぱり取っつきやすいし、小回りがきくような気がするのです。




だからPHPをプログラム言語と見なすのはむしろ間違いで、HTML生成スクリプトくらいに思った方が良いのではないでしょうか。




RubyやPerlみたいな高尚な言語と比較するのはちょっと違うのではないかなあ。




PHP,JSP,eRuby vs Java,Ruby,Perl,Python




というのが正しい比較ではないかと。


人間はチューリングマシンに向かっている


Podcast、電脳空間カウボーイズ



の年末特番でホーテンス遠藤こと月刊アスキー編集主幹の遠藤諭さん



がこう仰っていました。


 「結局、人類はチューリングマシンとなる方向に行っているよね」


チューリングマシンとはコンピュータの最も根本的な基本原理のこと(wikipedia参照)

なんでまた、と思ってよく聞いてみると、こう続きました。


 「だっていまの人間って自分で覚えないでしょう。なんでもネットで検索する。それこそWikipediaとか。そしたら、チューリングマシンと変わらないよね」


つまりWebという巨大なテープの上で、検索キーワードやハイパーリンクといったものを手がかりに計算(思考)を行うチューリングマシンになっているというのです。


脳だけがいろいろなことを記憶していた時代から、Web全体でひとつのテープを共有し、人間の脳細胞には到底収まりきらない、そして一人の人間が一生掛けても決して記憶することのできない膨大な情報量がWebにはあり、知識が共有化され、そして思考が構成されます。


ここで少しだけ心配になるのは、知識や記憶が完全にWebによって同一化してしまったとき、人の思考が均一的になってしまうのではないかということですが、個々のチューリングマシン(人間)はそれぞれ異なる外的体験(ネット以外の社会生活)を送ったり、ネット体験であっても、それぞれが主観的な体験を行う事によって各マシン(人間)の体験に相違が生じ、仮に全く同一の構造(チューリングマシンで言えば状態遷移表)を持つチューリングマシンであったとしても、それぞれが個性を持つ事に成ります。


複雑系の研究でよく使われるマルチエージェントシステムを考えても、それぞれのエージェントは全て同一のごく単純な状態遷移によって動きますが、全体としての動きは複雑怪奇で容易に予想する事が出来なくなります。


人間は考える機械である、という説がなんとなく頭に浮かんできます。

考える機械である人間に浮かぶ感情や心と行ったものは、主観的体験の蓄積による一種の「状態」であることが考えられます。


逆に言えば、人間に感情があるとすれば機械にも感情がある、と考える事も出来ます。


さらに、Webで体験を共有する(たとえばブログやTwitterなどでお互いの思考を交換する)ことで、それぞれの見解を別の角度から見た新しい見解をお互いに提示する事が出来ます。


これはまた、人が単体で生きていては到底得られない重要な相互作用です。

「デジタルディバイド」とは、まさにこの知識・体験の共有が破壊的なほどの格差をもたらすという現象を一言で表現したものかもしれません。


これからは人間=チューリングマシン説に基づいて、それを加速するようなサービスという視点で、SNSやブログなどをとらえていくと面白いかもしれません。


ブログは主観的体験を無制限に交換するメディアで、SNSは限定的に公開するメディアだとすると、SNSの1ホップの友達だけから構成される、別のチューリングマシンを仮想できます。つまりひとつのコミュニティごとに人格があるという考え方です。


そのコミュニティではある知識が共有されていて、その知識が共有されるからこそ、コミュニティ全体を通して共有されるひとつの見解が発生し、それが相互に複雑に絡み合いながら渦のように世界の知識体系を織りなしていると。


もちろんこうしたコミュニティによる仮想チューリングマシンは会社組織、学校、家族、友人、恋人という関係で多層的に存在し、このことがより人間社会を複雑に見せているという考え方もできます。


遠藤さんの「人間=チューリングマシン」論で最も面白いと思ったのは、チューリングがもともと想定していたチューリングマシンはひとつのテープにひとつの機械という前提があったはずですが、それがWebによって共有化されることで、同時並行的にひとつのテープを複数のチューリングマシンが共有するというイメージです。


そして以上のようなことを考えていたら、僕の頭の中には、こんなイメージが浮かびました。



複数のチューリングマシンが記憶や知識をいくつか共有化させながら、しかも多層的な仮想チューリングマシンを(コミュニティといった形で)構成しているわけです。実際には二次元の図では表現できなくて、コミュニティごとに空間的な階層を持っているはずです。


ソーシャルグラフに注目が集まったのは、人間本来が持っているこういう性質を暗示しているからでしょうか。


チューリングマシンはあらゆるチューリングマシンの動作を記述できる万能チューリングマシンというものが発見されて、それが本当の意味で現在のコンピュータの基礎になります。いまのコンピュータはあらゆる計算ができますよね?


でも「人間=チューリングマシン」論における「万能チューリングマシン」とはどんな存在なのでしょう。


あなたがブログ、評論させます


勝手にブログ評論に新機能「おこのみブログ評論」を追加。




これは、ブログ評論テンプレートを編集可能にし、誰でもオリジナルの「勝手にブログ評論」が作れるという新(珍?)サービスです。







たとえば、「である」「だ」を「ざます」に置換するだけで、上記のようにとってもオマヌケな文体に変わります(パーマリンク)。




テンプレートをつくると、パーマリンクにテンプレートが保存されるため、URLを変えて評論することでマヌケなブログ評論を量産できます。




もちろん全くゼロから新しいものを作ってもOK







僕の文章力ではこういう2chネラーっぽい文体は再現できませんでした。




%sのところに適当な名詞が入ります。

リターンで区切られます。




遊んでみてください。


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