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Death Valleyはどれくらい広いか、そして日米文化の違いについてぐだぐだと


東京に戻ってきました。

空港の駐車場で愛車をピックアップして、最先端のカーナビゲーションシステムを起動すると、「ああ、戻ってきた」という気がします。東京はやはり凄い。世界最先端の電脳都市です。

あまりに電脳化されていて、普段はそれに気づかないくらいです。




しかし3G通信があたり前のようにできて、あらゆる人が高機能な携帯電話とメールを使いこなし、当然のようにケータイからmixiをやったりモブログを書いたりしている都市は東京しかありません。




また、カーナビがこんなに発達しているのも日本だけです。とりわけ東京のカーナビ密度と精度は高いし、またそれが必要とされる土壌もあります。カーナビが人口の半分くらいまで売れている国はまずないでしょう。




アメリカでは、ハマーH3を借りたせいか、カーナビが付いていませんでした。

とはいっても、アメリカのカーナビなんか、GPSに毛が生えたような物ですからね。

iPod touchのGoogleMapみたいなものを想像しているとしたら、とんだお門違いです。iPod touch(というかiPhone)がずば抜けて良くできているというだけで、ベンツのカーナビですら、未だに衛星写真は出ないし、3D表示もVICSもないのです(最近VICSだけは付いた?けどレンタカー屋のカーナビにはそういうものは一切付いてません)。




なぜそんなことになっているのか、やっぱり砂漠を横断してみてわかりました。

主要な道に全てNシステムやVICSを配置し、町中のあらゆる場所を携帯の電波で満たすことができているのは今のところ東京だけです。




21世紀で最も進んだ都市と言っても良いのではないでしょうか。

ヨーロッパから戻ったときもそうでしたが、東京の快適さには心底驚きます。




さて、戻ってきて出張中の写真を見直したりしたのですが、とにかくひたすら広いことに驚かされます。




では、どのくらい広いのか、とりあえずムービーをみてください







これでもぜんぜんわからないと思います。

その場にいないとぜんぜんわからない臨場感。




GoogleMapsで調べてみました。







この地図によると、最も高い山と思われる地点まで100km以上あります。




Death Valley自体は海抜-200メートルくらいのところにあって、この山は3000メートル以上あるとのことなので、そういう高低差で見てることになります。






100kmというのは、東京23区全体がすっぽり入ってしまうくらいの距離です。




これが一望できるというのは、そういう途方もないことなのです。

まあ東京タワーか、六本木ヒルズにでも登れば一望できると言えなくもありませんが。




むう。しかし凄い。いろんな意味で。







こんな道が殆どなのです。だからアメリカのクルマの多くには、アクセルとブレーキを自動的に調整して一定速度を保つオートクルーズ機能が搭載されています。止まることの方が少ない。







隣の州にいくのに、4時間。しかも途中二回くらい給油しないとたどり着けない。

まさに馬に水を飲ませるがごとく、ときどきこういうオアシスのようなところに立ち寄って給油するわけです。モータリゼーションとはこういうことか、と思います。




ヘンリー・フォードが大衆向け自動車を発明する以前のアメリカとは、どんなだったのか、全く想像もつきません。




こりゃ最低でもチョコボ、できれば飛空艇がないと移動は絶望的に辛いと思いました。




冗談はさておき、馬は時速60kmで一時間走り続けることができるそうです。すると一時間で60キロ。休み休みいけばまあたどり着けないこともないかもしれません。首都高を走るクルマとほぼ同じスピードですね。




こういう広い世界があるから、アメリカの全ての文化があるような気がします。おおざっぱなところも、フランチャイズも、全部。




逆に東京を考えると、超高密度都市です。一日で超過疎から超高密度への変化を体験したわけですが、やっぱりこれはびっくりするくらい凄い変化でした。世界の文化がつくられるのに、風土や気候は決して無関係ではないようです。僕はずっとコンピュータの世界しか知らなかったから、余計に驚きました。




辻仁成がアメリカをバイクで横断したとか聞いても「ふーん」としか思っていなかったのですが、それ、実際にやるとしたら途方もない体験だというのがようやく解りました。そりゃ中山美穂と結婚するわ。






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単にバイクで横断するだけなら、たぶん誰でもできる感じがするんですけど、もうイジメみたいな苦行であることは想像に難くありません。夏は暑く、冬は寒い。なにかトラブルがあっても、無限の荒野しかなくて、JAFなんか来ない。街にいけばワルばかり。メイドですら気を許せない。気を抜くとオーバーヒート。水や食料が尽きたらジ・エンド。




メチャクチャリアルなドラゴンクエストというかファイナルファンタジーというか。

しかも、意味がない。全く。ただ「行こう」と決めてひたすら行くだけ。くじけそうですよね。というか普通はくじける。けど、もう途中まで行ったら、後戻りできない。点と点の間はひたすら線。線をまっすぐ走るだけ。暇。とんでもなく暇。




こんな国だから冷凍睡眠して星間飛行しようなんて途方もない発想も出てくる。もしくはワープ航法を使っても何ヶ月も移動にかかるなんていう無茶な設定がすんなりと受け入れられる。






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日本で攻殻機動隊がうまれ、アメリカでスタートレックがうまれるというのも、なんというか、うまくいえないけど、解る気がします。




日本はとにかく密度が高い。あらゆる物の密度です。道具からなにから、もの凄く細かいところまで隅々考えられてるわけで。




特に東京。情報で満たされています。情報のシャワーを浴びるのが、まるで生命として当然の義務であるかのように。東京は犬や猫ですら、信号を見て交差点を渡るような気さえしてきます。




この国では攻殻の発想が出てくるのはむしろ自然です。






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日本の昔話は、あまり旅に焦点があたりません。

一寸法師、桃太郎、金太郎。なんかもの凄く展開が早くて、すぐに目的地に着いて鬼をやっつけます。




数少ない例外は西遊記。でもあれ、中国の話ですからね。




日本最古の物語と言われている竹取物語のクライマックス(と思う場面)は、かぐや姫が「あれをもってこい」とか「これをもってこい」とか求婚者達に無理難題を押しつけるシーンだと思うのですが、なんとその求婚者達の冒険は、殆ど描かれません。「とにかくなんとか手に入れた」みたいな。「かくかくしかじか」みたいな、凄い省略ぶりです。オデュッセイアなら、三人の求婚者たちの冒険を描くだけで三巻くらいは使いそうです。一事が万事、そうなのです。京都から外に出る物語も希です。




それは国土が狭く、距離が近いから、なのかどうかわかりませんが、そういうお国柄というか、背景はある。




SFで比較しても、銀河系を駆けめぐるスタートレックとスターウォーズに対し、ガンダムなんか太陽系どころか月まで行かないくらいですからね。むしろ殆どの舞台は地球。




宇宙と行っても、ラグランジュ点がせいぜい。そんな近距離では、ウラシマ効果なんか生まれるわけもないからSF考証的には微妙に都合がいいのかもしれませんが、人型ロボットが戦って居る時点で何かが違います。後半になって微妙に木星とか出てきますけど、あくまで主役は地球とラグランジュ点の間。




密度を高めて、そこで物語を紡ぎ出す。

だからスタートレックが文字通り紀行物語(トレック)であるのに対し、ガンダムのテーマは「宇宙でうまれた人類が地球に居続ける人類と対立する」という、人間の内面に近いもの。物語の構成自体が密度を高めているわけです。




日本アニメの良いところというのは、良くも悪くも密度が高いところだと思います。




アメリカのアニメや映画というのは、密度が高いように見えて、マットペイントを凝視するとすごくおおざっぱで、細かいことは気にしないという発想が伝わってきます。特に初期のジェームズ・ボンドの特撮はひどい。




日本の特撮は、アメリカのそういう悪い特撮をある程度見本にしてしまっている部分があって、ひどいものも多いのですが、それでも毎週特撮ものの番組を二つも三つもやっている、戦隊もの、ウルトラマン、仮面ライダーとか、まあそういうやつをずっと作り続けている国というのは、やっぱり珍しいと思うわけです。しかもとにかくやたら凝ってる。ギミックとか、敵とかに意味を持たせているわけです。




スタートレックって、「わあ、宇宙にはこんな星があるんだなあ」くらいの話ばっかりなのですが、例えば怪傑ズバットは「俺の親友、飛鳥五郎を殺したのは貴様かっ!」と毎回悪人をしばきたおして、最後に「お前じゃなかったのか!くそっ」と次なる戦いに向かう。もう、根本が違うわけです。




その意味では宇宙戦艦ヤマトも新世紀エヴァンゲリオンも超時空要塞マクロスも同じ。

とにかく果てしなく遠いところに究極の目標があって、日々の戦いはそのための道程に過ぎないという描写。




スタートレックと水戸黄門は凄く似ていて、特に理由もなく宇宙を漂って、なにかへんなものを発見するカーク船長と、悪代官の悪事をみつける御老公はほとんど変わらない。




けど、たいていの和製ドラマにはなにか究極の目標が設定されていて、それに向けて邁進するというフォーマットが多い気がします。そのほうがドラマを作りやすかった、というのは往々にしてあると思いますが。




昔のアメリカのテレビドラマは、もうびっくりするくらい、そんなバックグラウンドはないわけで、特効野郎Aチームもナイトライダーもエアーウルフも、「どうしてそんな奴らがいるのか」という「戦いの理由」はほとんどモノローグでしか解説されないわけです。




去年だったか、ナイトライダーのDVDボックスを買って腰が抜けるほど驚いたのは、全くなんの説明もなく、いきなりマイケル・ナイトがナイト2000を使って事件を解決していること。




普通、ドラマの第一回目って、背景説明というか目的説明っていうか、そういうところから始まるのがセオリーじゃないですか。そういうのを全てすっ飛ばして、いきなり事件が起きて唐突に現れたナイト財団が解決している。なぜなのか、どうしてなのかは全く説明がない。子供の頃は特に疑問に思いませんでしたが、今みると、ナイト財団というのは「実は真の巨悪である軍産複合体が作り上げた傀儡組織で、マイケル・ナイトが倒していたのは全て正義の組織だった」みたいなオチがしっくり来るような気さえしてきます。




24以降のドラマがアメリカと日本でほぼ同時にヒットしたのは、実は24のリアルタイムフォーマットが、日本的なドラマ作りと似ているからかもしれませんね。ロストとかプリズンブレイクとかも同じジャンルですが。




砂漠を帰りながら、まあそんな考えが浮かんでは消え・・・。




そのまま空港について、飛行機に乗ったら気を失って、気がついたら北海道上空でした。




退屈だったので、おもむろに取り出した「ハッカーと画家」を読んでいたら、冒頭にハッとする言葉が書いてありました。



でも物質的な製品というのは、もっとずっと制約の多いものだ。劇的な技術革新よりも、良いセンスと細部への注意が勝利を収めるものだ。

問題はこの「センス」という言葉が、米国人には若干馬鹿げたものと思われていることだ。そういう言葉を使っていると、うぬぼれ屋か、軽薄か、あるいは軟弱であるとさえ思われる。進歩派からは「主観的だ」と思われ、保守派からは「女々しい」と思われる。だから米国で本当にデザインの問題を考えたい人は、逆風の中を進むことになる。





驚くべきことに、確かにアメリカのほとんどあらゆる物質的製品は、どうしようもないデザインばかりです。




「ハッカーと画家」では、それはデザインというものが単に主観的な問題として処理されているからだと言います。




このフレーズには本当に驚きました。

確かに、"そういうこと"をするアメリカ人は凄く希なのです。




「プラダを来た悪魔」を見ても、要するにハイファッションというのはごく一部のニューヨーカーとそのフォロワーのためのもので、要するに気取り屋と女性のためのものであって、そうでない大多数の人々にはとてもどうでもよい、くだらないものだと思われているように思います。「プラダを来た悪魔」の冒頭で、主人公はまさにそういう考えを持ったエリート女性として振る舞い、ファッションを馬鹿にします。いろいろな意味で凄い映画だと思いました。




アメリカにおける例外は、映画とソフトウェァだと。

そのふたつだけは、開発者が単に美意識を発揮できる場所なのだということです。

X-Window、Unix、そういうものは単に性能を追求しただけでなく、快適さや明快さといった目に見えない性能指標を達成しようとしています。




アメリカのWeb2.0サイトがどれもこれも似たようなデザインなのも、そのなかでTumblrがひたすら異彩を放っているというのも、解る気がします。西海岸でスーツを殆ど見ないのも、ゲームエグゼクティブがみんなポロシャツにジーンズなのも。




まあ勝手にブログ評論みたいな、デザインを完全においてけぼりにしたサイトを作ってる人間がデザインについてとやかく言えた義理ではないですが。




とにかくこの話はとても刺激的でした。

今回の出張で、アメリカ人、そしてアメリカ合衆国という国のことがほんの少し解った気がします。




もっともっと知見を広めなければ。


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