SSブログ

改めてドラゴンボールは傑作だった


 ある日、昼下がりのカフェ。




 「私ね、実はオタクなんですよ」




 彼女はそう言ってルイボスティーをすすり、「熱っ」とすぐにティーカップに戻した。




 そうは言うけど、どうみてもそんなふうに見えない。バーバリーの小振りな鞄に、フェンディのコート。秋葉原よりも原宿か、表参道の方が似合う。最近はオタクも多様化したものだ。外見に惑わされてはいけない。




 とはいえ僕はその告白に少々以上の驚きを隠せなかったが、彼女は続けた。




 「もう、子供の頃からドラゴンボールが大好きなんです」




 ドラゴンボールのオタクというのは珍しい。

 いや、あれだけの人気があるのだから、珍しい等と言っては失礼だろうけど、そもそもメジャーな作品にオタク的ファンはつきにくいものだ。




 要するにこれは「ふつうのひと」の反応なのである。「ジブリが好き」「ディズニーが好き」とおそらく大差ないのだ。




 正直言うと、僕はドラゴンボールがそれほど好きではなかった。




 ドラゴンボールの単行本を初めて読んだのは小学四年生のとき。親戚がたまたま持ってきていた。けどそれっきりだ。そもそもマンガを読まない子供だった。読んでいたのは、伝記と、技術書。毛色は違うが、D・R・ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」と「メタマジック・ゲーム」が大好きだった。わけがわからないなりに。




 

 テレビアニメになったときは見ていた記憶があるけど、記憶に全く残らない作品だった。




 うっすらとした記憶の中では、初期のドラゴンボールは冒険ものという感じがして面白かった。しかし後半は毎週野蛮な殴り合いが続くだけ。強さもインフレしていって、わけがわからない。ストーリー不在、と言う言葉さえ浮かんでくる。アンケート至上主義が生んだ怪物だと思った。




 ところが僕より10年も遅く生まれた彼女は、ドラゴンボールが大好きなのだという。バイト代を注ぎ込んでDVDを買いあさるほど。それ以外のアニメには見向きもしない。ドラゴンボールだけ。

 

 ふらふらと書店に立ち寄ったときにドラゴンボールの愛蔵版が並んでいたとき、吸い込まれるように手にとってしまったのはそんなきっかけだった。






ドラゴンボール 完全版 (1)   ジャンプコミックス

ドラゴンボール 完全版 (1) ジャンプコミックス

  • 作者: 鳥山 明
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/04
  • メディア: コミック





 今更言うまでも無いことだけど、鳥山明の造形センスはズバ抜けている。




 ドラゴンクエストのキャラクターデザインを通して、彼がこうしたデザインセンスにさらに磨きを掛けたであろうことは想像に難くない。




 いま改めてコミックを読むと、展開の早さに驚かされる。

 2巻で早くもドラゴンボールが七つ揃い、神龍が現れる。が、願いは叶わない。しかし意外なところで願いは叶うことになる。このあたり、近未来版OZの魔法使い、といったところだ。おそらく最初のコンセプトは西遊記やOZの魔法使いではないだろうか。なんとなく中華っぽいテイストも、魔法も、そういう気がする。日本人は西遊記のプロットが好きだ。宇宙戦艦ヤマトも西遊記のプロットを使ったと後に作者が告白している。




 気がつくと夢中になって読み進み、あっという間に20巻。フリーザとの対決だ。

 改めて読むとバトル続きの展開でもストーリーとしてほとんど破綻がない。ときどきマンガを拾い読みするだけではわからなかったぐいぐいストーリーに人を引きつける魅力がある。




 マンガに詳しい布留川君によると、ドラゴンボールの初期のストーリー、つまり西遊記をベースとしたストーリーは、人気がなかったそうだ。いつ打ち切られるかわからない状態で、だから展開が速い。起死回生を図って天下一武道会のシリーズを始めたところ、これが当たり、以後バトル漫画としての路線を確立していく。




 まあ確かに。子供の頃はバトルものが好きだった。戦闘シーンに手抜きがされてるとしか思えないマクロスセブンなどは嫌いだった。ドラマよりバトル。その意味では、インフレし続けるドラゴンボールの展開は子供の快感原則に叶っている。指先ひとつで山が吹き飛び、目に見えないほどのスピードでバトルが展開する。




 しかも、ドラゴンボールの場合、天才的とも言える殺陣のセンスがある。修羅の門も決して悪くはないが、子供には何が起きたのか全く解らない。一巻まるごと使って一試合終わらないことなどざらである。




 ドラゴンボールのアニメをいまから全部見直そうという根性はないが、コミックなら半日もあれば読めそうだ。実際のところ、改めて読むととんでもない傑作だということにハッとさせられた。




 子供にも本物が解るのだ。

 むしろ子供にこそ解る、というべきだろうか。




 けれども、Death Valleyに行く前後にドラゴンボールを読んでいたのは幸運だった。そういう世界に順応する下地として作用していたということだろう。




 ただただ無限に広がる荒野。




 本来ならゾッとするような展開であっても、ドラゴンボールはどこか清々しい。

 鳥山明の演出力、画力が遺憾なく発揮されている作品であると言えるだろう。




 センスといえば、一巻の頃は擬音がアラレちゃんと同じくBAKOOOONなどとアルファベットで描かれているが、後半の巻ではバコーーンとカタカナになっている。これも子供向けを意識した演出の変更なのだろうか。僕はアルファベットの方が好きだ。




 とはいえまだ21巻以降は読んでないのだ。セルが登場すると僕の評価もまた変わるかも知れない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。