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人間はチューリングマシンに向かっている


Podcast、電脳空間カウボーイズ



の年末特番でホーテンス遠藤こと月刊アスキー編集主幹の遠藤諭さん



がこう仰っていました。


 「結局、人類はチューリングマシンとなる方向に行っているよね」


チューリングマシンとはコンピュータの最も根本的な基本原理のこと(wikipedia参照)

なんでまた、と思ってよく聞いてみると、こう続きました。


 「だっていまの人間って自分で覚えないでしょう。なんでもネットで検索する。それこそWikipediaとか。そしたら、チューリングマシンと変わらないよね」


つまりWebという巨大なテープの上で、検索キーワードやハイパーリンクといったものを手がかりに計算(思考)を行うチューリングマシンになっているというのです。


脳だけがいろいろなことを記憶していた時代から、Web全体でひとつのテープを共有し、人間の脳細胞には到底収まりきらない、そして一人の人間が一生掛けても決して記憶することのできない膨大な情報量がWebにはあり、知識が共有化され、そして思考が構成されます。


ここで少しだけ心配になるのは、知識や記憶が完全にWebによって同一化してしまったとき、人の思考が均一的になってしまうのではないかということですが、個々のチューリングマシン(人間)はそれぞれ異なる外的体験(ネット以外の社会生活)を送ったり、ネット体験であっても、それぞれが主観的な体験を行う事によって各マシン(人間)の体験に相違が生じ、仮に全く同一の構造(チューリングマシンで言えば状態遷移表)を持つチューリングマシンであったとしても、それぞれが個性を持つ事に成ります。


複雑系の研究でよく使われるマルチエージェントシステムを考えても、それぞれのエージェントは全て同一のごく単純な状態遷移によって動きますが、全体としての動きは複雑怪奇で容易に予想する事が出来なくなります。


人間は考える機械である、という説がなんとなく頭に浮かんできます。

考える機械である人間に浮かぶ感情や心と行ったものは、主観的体験の蓄積による一種の「状態」であることが考えられます。


逆に言えば、人間に感情があるとすれば機械にも感情がある、と考える事も出来ます。


さらに、Webで体験を共有する(たとえばブログやTwitterなどでお互いの思考を交換する)ことで、それぞれの見解を別の角度から見た新しい見解をお互いに提示する事が出来ます。


これはまた、人が単体で生きていては到底得られない重要な相互作用です。

「デジタルディバイド」とは、まさにこの知識・体験の共有が破壊的なほどの格差をもたらすという現象を一言で表現したものかもしれません。


これからは人間=チューリングマシン説に基づいて、それを加速するようなサービスという視点で、SNSやブログなどをとらえていくと面白いかもしれません。


ブログは主観的体験を無制限に交換するメディアで、SNSは限定的に公開するメディアだとすると、SNSの1ホップの友達だけから構成される、別のチューリングマシンを仮想できます。つまりひとつのコミュニティごとに人格があるという考え方です。


そのコミュニティではある知識が共有されていて、その知識が共有されるからこそ、コミュニティ全体を通して共有されるひとつの見解が発生し、それが相互に複雑に絡み合いながら渦のように世界の知識体系を織りなしていると。


もちろんこうしたコミュニティによる仮想チューリングマシンは会社組織、学校、家族、友人、恋人という関係で多層的に存在し、このことがより人間社会を複雑に見せているという考え方もできます。


遠藤さんの「人間=チューリングマシン」論で最も面白いと思ったのは、チューリングがもともと想定していたチューリングマシンはひとつのテープにひとつの機械という前提があったはずですが、それがWebによって共有化されることで、同時並行的にひとつのテープを複数のチューリングマシンが共有するというイメージです。


そして以上のようなことを考えていたら、僕の頭の中には、こんなイメージが浮かびました。



複数のチューリングマシンが記憶や知識をいくつか共有化させながら、しかも多層的な仮想チューリングマシンを(コミュニティといった形で)構成しているわけです。実際には二次元の図では表現できなくて、コミュニティごとに空間的な階層を持っているはずです。


ソーシャルグラフに注目が集まったのは、人間本来が持っているこういう性質を暗示しているからでしょうか。


チューリングマシンはあらゆるチューリングマシンの動作を記述できる万能チューリングマシンというものが発見されて、それが本当の意味で現在のコンピュータの基礎になります。いまのコンピュータはあらゆる計算ができますよね?


でも「人間=チューリングマシン」論における「万能チューリングマシン」とはどんな存在なのでしょう。


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