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一体なにが価値を生み出すのか?


今年に入ってからのエントリーで、特にはてなブックマークで注目を集めたものだけに限定して調べてみると、どうも「お金では買えないものはなにか」というところに共通点があるような気がしました。セカンドライフのエントリーしかり、謝罪に関するエントリーしかり、です。




お金では買えないものは、お金にならないものと共通点があるような気がします。

前提として




 お金では買えないもの: 売り手がいないもの、または譲渡不能なもの

 お金にならないもの:買い手がつかないもの、または譲渡不能なもの




売り手がいない、買い手がつかない、というのは取引の相手がいないというところが共通しています。譲渡不能なものは、どちらにせよ売ることも買うことも出来ません。




いわゆる文学的な意味で使う「お金で買えない価値」とは、「譲渡不能な価値」を意味することが殆どです。




お金では買えないものは、お金にならないものである場合もありますし、そうでない場合もあります。




例えば人気企業の株は、株主全員が「もっと上がる」と思っている時には売り手が存在しません。だからその瞬間は「お金では買えないもの」であるということになります。




世界にひとつしかない宝石や、自分の子どもが書いた世界でたった一枚の似顔絵も、同じく「お金では買えないもの」ですが、買う気になれば買えるものと、買う気があっても売って貰えないものがあります。




つまり以下のようなものが存在します。




 お金で買えないもの

  買い手は居るが、売り手の所在が不明なもの

  買う気も売る気もあるけど譲渡不能なもの

  買い手は居るが譲渡不能なもの




 お金にならないもの

  売る気はあるが、買い手の存在が不明なもの

  売る気も買う気もあるけど譲渡不能なもの

  売り手はいるが譲渡不能なもの




実は「お金で買えない」か、「お金にならない」かは、売り手または買い手の意識の問題だったり、視点の問題だったりするので殆どは共通していることがわかります。




 「売る気はあるが買い手の存在が不明なもの」の買い手を探したり、逆に「買い手は居るが売り手の所在が不明なもの」の売り手を捜したりするのが物流というビジネスです。




 譲渡不能なもの、たとえば「体力」や「知性」といったものは、それを持っている人から借りるしかありません。

 これが請負というビジネス形態です。




 物流と請負、この二つが複雑にからみあって「お金にならないもの、お金では買えないもの」を「お金で買えるもの」に変えるということがビジネスの基本にあるのかもしれません。






 たとえばゲームソフトなどは、一見どちらにも属さないようにも思えますが、「人を楽しませる才能」「絵を書く才能」「プログラムを作る知性」「音楽を作る感性」といった譲渡不能な価値を持つ人たちを集め、社員という「請負」契約を結び、マスターディスクという、そのままでは「買い手はいるが売り手の所在が不明なもの」を作り出し、それを量産してパッケージして、全国のゲームショップや玩具屋さんの店頭に並べる物理由によって「買い手と売り手」を結びつける複合的なビジネスと言えます。




 ということは、ビジネスの根本にはどの場合にも、「お金で買えないもの」があるということです。ビジネスを考えるうえで、「お金で買えないもの」の存在は非常に重要なのかもしれません。




 僕が「お金で買えないもの」に興味を持ったのは、「沈黙の艦隊」を読んでいた時でした。






講談社漫画文庫

講談社漫画文庫

  • 作者: かわぐち かいじ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/02/08
  • メディア: 文庫





 この作品で最も衝撃的だったのは、大滝議員が独立国「やまと」による安全保障に対し、ロイズ保険機構に要請して世界軍備永久放棄の「保険」を賭けるというシーンでした。




 アメリカ政府はこれを「平和を金で買おうというのか!」と一蹴しますが、平和とは本来お金で買えないはずのもので、それを架空の話で実現性に疑いはあるとはいえ、買えるようにしてしまうという発想にとてつもない衝撃を受けたのでした。




 たとえば音楽も、もともとはお金にならないものだったのではないでしょうか。




 まだ音楽というものを人類が手に入れる前、もしかしたらそれはお金そのものよりも前だったかもしれませんが、そういう頃に、歌を歌ってそれだけで生活をするのは難しかっただろうと思います。




 やがて、とても歌が上手な人が現れて、その人は歌うだけで人々を感動させ、愉快な気分にさせることができて、そのお礼にいろいろな人がお金をくれるようになったとします。




 しかし、それはそれだけです。収入も僅かなものでしょう。歌はあれば嬉しいですが、なくても誰も死なないものだからです。




 ところがあるビジネスマンが居て、彼はその人の歌を、より多くの人に聞かせるために声の良く通るステージを用意し、お金を払わずに立ち去る人が出ないように、先にお金を貰うように工夫し、ステージをまるごと囲いで囲ってしまうとします。




 これは立派な興業として成り立ちます。




 さらに、ひとつのところでずっと歌っていたら飽きられてしまいますから、いろいろな街を転々としながら沢山の人々に新鮮な感動を提供することで富を産むことを繰り返します。




 そして、ラジオが発明されると、そこで歌うことで、一度に数多くの人に歌を届けることが出来るようになりました。しかしラジオの放送は無料で、それだけではお金を産みません。




 また別のビジネスマンが、ラジオで品物の宣伝をすることを思いつき、宣伝をして儲かる人を連れてきて、歌を歌う人にお金を渡して歌を歌って貰います。




 歌が聴きたくてラジオを付けた人も、ついでに商品の宣伝を耳にして、それを買うことで間接的に歌をお金にしていきました。




 それがレコードになり、テープになり、一大音楽産業が生まれました。




 では最初にビジネスマンとなった人は、どのようにして「お金にならないもの」をお金になるものへと変えることを思いついたのでしょうか?そういうものを見つけ出し、実際にお金に換えるために必要な能力とはなんでしょうか?




 それは永遠の謎です。




 とはいえ、結論を抜きにしてブログエントリを終えてしまうのも尻すぼみで情けないような気がします。




 敢えて今、冒険を犯す覚悟で、その永遠の問いに自分の想像で答えるとしたら、それはもしかすると、「感性と知見」ではないだろうかと思います。




 美しいものやものの価値を見抜く感性、こういう人は共感してくれるだろうという感性、そしてどこでどんな人がこの感性に共鳴し、必要性と価値を感じてくれるか、そのためには出来る限り広く深い知見が必要です。




 感性だけではそのものの値打ちが解っても買い手を見つけることはできず、知見だけでは本当に値打ちのあるものを見つけることはできません。




 どちらも生まれながらに持っている人は極めて希です。

 両方持っている人はもっと希です。




 知見か、感性か、いずれにせよそれを磨き上げる努力を怠れば、それは曇ってしまうでしょう。




 そういうものを総合して「ビジネスセンス」と呼ぶのかも知れません。


市川崑の演出する、東京オリンピックに涙する


僕はけっこう、本を読むのが好きです。

社長になってからは、企業に関する本を良く読むようになりました。

特に良く読むのは、成功と失敗について書かれた本です。

成功について書かれた本は、「その企業が成功するまでになにがあったか」ということが書かれています。失敗について書かれた本は「その企業が失敗するまでになにがあったか」ということが書かれています。




こうした本を読むことで、僕は成功と失敗を疑似体験することができます。

普段からこうした疑似体験を繰り返しておくことで、いざ自分の会社を振り返ったときに、今はどういう状況なのか、繰り返し繰り返し確認することになります。




特に僕は永続的成功を修めている企業に興味があり、先日↓のような本を読んでいました。






100年企業、だけど最先端、しかも世界一

100年企業、だけど最先端、しかも世界一

  • 作者: 泉谷 渉
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2007/09
  • メディア: 単行本





この本は、日本国内にあって100年以上存続している企業について書かれた本で、それらの企業がいろいろな危機に直面しながらも困難を乗り越え、繁栄を続けている様子が描かれています。




そのなかで、繊維産業のユニチカの項目がとても印象に残りました。




実は、東京オリンピックで東洋の魔女と畏れられた日本代表チームは、全員、日紡貝塚(現ユニチカ)で働くOLだったのです。




当時のオリンピックでは、女子バレーボールチームは代表選抜ではなく、国内予選に優勝したチームがそのまま出場するものだったそうです。




1961年、日本が戦争の傷跡からようやく立ち直りかけた頃にヨーロッパ遠征で22連勝し、「東洋の魔女」「東洋の台風」と怖れられます。




開けて1962年、日紡貝塚は宿敵・ソ連との戦いのなかで、強烈なソビエトのスパイクを止めるため、柔道の受け身に似た体勢で遠心力を利用して打ち返す、回転レシーブという画期的な戦法が考案され、手元で微妙に揺れる変化球サーブとともに強力な武器となります。




社会主義国でエリート待遇を受けるソビエト連邦の選手と違い、日紡貝塚はあくまで実業団なので、驚くべきことに昼間は通常に会社員としての業務をこなし、終業後に疲れた身体を引きずってきてはひたすら回転レシーブの特訓に明け暮れていたのだと言います。なんという不屈の精神力でしょう。




そしてとうとう、大松博文監督に率いられた日紡貝塚女子バレーボールチームは世界選手権で全勝優勝を果たし、当時世界最強と言われていた強敵ソビエト連邦チームを斃します。




当時の国内情勢は想像するしかありませんが、日本人チームが世界大会で優勝したのはこれが史上初めてのことで、このことが焼け野原から立ち上がってきた日本の人々たちをどれだけ勇気づけたかわかりません。




そして1964年、東京オリンピックで再びソビエト連邦と相まみえます。






東京オリンピック

東京オリンピック

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2004/06/25
  • メディア: DVD





市川崑といえばとても印象的な映像作りをする映画監督で、エヴァンゲリオンの庵野秀明監督の作品にもよく市川作品を引用したと思われるテクニックが見られますが、そのせいか今みても色あせないカメラワークに驚かされます。




東京オリンピックは記録映画なのですが、市川監督が演出することで、とても美しい映画になっています。




冒頭、破壊される東京から映画は始まります。

東京オリンピックは日本が近代化するなかで最大で最後のイベントだったと言って良いでしょう。




東京オリンピックをきっかけにつくられたものは




道路

・首都高速道路

・名神高速道路

・環七通り

・六本木通り




競技場

・国立競技場

・日本武道館

・駒沢オリンピック公園

・岸記念体育会館




交通機関

・東海道新幹線

・東京モノレール




宿泊施設

・ホテルニューオータニ

・ホテルオークラ

・キャピトル東急ホテル

・東京プリンスホテル




と、現在の東京を象徴するような施設ばかりです。

これらの施設が軒並み1964年を目指して建設・整備されたことは本当に驚くべきことです。

また、オリンピックの開会式である10月10日は、現在の「体育の日」として残っています。




そして感動を呼ぶのが、なんといっても聖火リレー




ギリシアのオリンピアで採火式が行われ、ビルマ、マレーシア、タイ、フィリピン、中華民国、そしてアメリカ占領下の沖縄、広島を通過するところ、原爆ドームのまわりに大勢の人々が集まり、聖火ランナーを見送るシーンで涙がボロボロこぼれてきてしまいました。




1945年の太平洋戦争の終戦からわずか19年後のことです。

老婆や老父がとても複雑な表情で聖火ランナーを見送る様を、市川のカメラは鋭く切り取ります。




子どもがはしゃぎながら聖火ランナーを追いかけるとき、これがまさしく平和なのだと、スポーツとはかくも素晴らしいものかとあらためて刮目させられる思いでした。




富士山の裾野を聖火ランナーが走る映像も、奇跡のような美しさです。




そして最後に東京に入ってくる聖火ランナー。

彼は当時19歳の陸上選手。1945年8月6日、原爆投下の日に広島でうまれた少年が、聖火台への階段を駆け上る様は、日本復興の象徴と言えるでしょう。




事実というものの素晴らしさ、ドキュメンタリーというものの力強さ、そうしたものに本当に感動しました。




女子バレーボールとソビエト連邦の一戦も、激しいカット割りで芸術的に仕上げられ、辛くもソビエトに勝利した東洋の魔女達の潤んだ瞳と呆然とするソビエトチームの表情のあと、大松監督が静かにベンチへ腰を下ろすシーン。まさに昭和の男の生き様を見た思いでやはり感動します。




東京オリンピックにおける「東洋の魔女vsソビエト」戦の視聴率は66.8%で、日本スポーツ中継史上最高記録を誇っていて、未だにその記録は破られていません。2002年の日韓戦でも敗れなかったこと自体が、このオリンピックが当時の日本に与えた影響の大きさを物語っていると言えます。




思い入れたっぷりに見るととても凄い映画ですが、そうしたものがないと退屈かもしれません。

それでも事実をとてつもなく鋭く、美しく切り取る市川演出はエンターテインメント産業に関わる者として必見の出来で、それだけでも見る価値があります。




さらに、ネットなどで予備情報を仕入れて当時の日本人になったつもりで思い入れたっぷりに見ると何度見ても泣ける傑作です。


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