あなたのブログ、評論します。
土曜日、ぼーっとしているついでに検索エンジンの高速化をするにはどうすればいいのか考えた挙げ句、固有名詞を抜き出すプログラムを書いて、その実験を繰り返していたところ、実験の方が面白くなって副産物が生まれました。
まあ実態としては昔懐かしハナモゲラシステムでして、新しい工夫など何もなく、入力としてブログのURLを渡すとRSSを取り出して評論するあたりしか新しいことはありません。
でも良く読むと時々けっこうパンチラインが効いてたりして、まあたまに笑えます。
文章が繋がっているように見えるよう、ある程度原文の流れを踏襲しているのも特徴。全くムダですが。
そして採点もしてくれます。これまた全く無根拠。
ブログなので同じブログでも日によって違う評論が出てきます。
たまにFlickrで写真をみつけて挿絵を付けてくれます。
なんでこんなものを作ったのかと言いますと・・・
最近、検索エンジンを作っていて、それなりに便利になっては来たのですが、どんどん検索スピードが遅くなっていくわけです。
このままでは遠からず取り返しの付かない遅さになることは間違いなく、どうにかしてそれを解決しなくてはなりません。
検索エンジンを高速化するには、単語毎のインデックスを作る必要があり、そのためには自然に入力された言葉(自然言語)を解析して、どれが固有名詞で、どれが形容詞なのか、それらの関係はどこにあるか、ということを分析しなければなりません。
そういう一連の処理を"形態素解析"と呼び、それを実現するための形態素解析エンジンというものがいくつかオープンソースで出回っています。
けれども、形態素解析の処理はお世辞にも高速とは言い難く、そこだけC言語で書いたりするのです。Googleも外部の形態素解析エンジンを使っています。
それに対して固有名詞を抜き出すだけならストップワード検索だけで事足りる場合があります。
ストップワードとは、英語でいえば「a」「this」「he」「her」「is」のように英語のなかではありふれすぎていて固有名詞とはいえないものです。
これも完璧とは言えませんが、なんちゃってインデックスを作るには悪くない方法です。
そこで極めて適当に、ストップワードを抜き出す正規表現を書いてみました。
$keyword = mb_split("[\s\t・ \[\]\"[]『』=<>\/。/\?\&※:?【】=系的をやのでがにへと(べき|べからず|べからざるを)(かつ)(しかも)(っ[てた])(とき)とも(より)(そのほか)(しかし)(と(いう|いえば|すれば))(この)((なぜ)*なら[ば]*)((し|され)たら)(じゃ)(くらい)(くん)「」(だ(から|けど|が))な(から)(または|さもなくば)(たら)(したり)(する|すれば)((し|され)て)(だ|である)\(\),、。,(さん)\!\?(!)<><>]", $str);
上記のプログラムはまさにこの正規表現によって固有名詞を抜き出し、抜き出した固有名詞にそれっぽい飾り(評論家が言いそうなスノッブな表現のテンプレート)にあてはめて表示するわけです。
こういうソフトのもっと高度なやつが、Ractorというソフトですが、英語しかつかえなかった上に、もう失われてしまいました。
UEIはISO27001(ISMS)を取得しました
本日、UEIはJIS Q 27001:2006(ISO/IEC27001:2005)として定められる、情報セキュリティ管理システム(ISMS)適合性評価制度において、適合と認められました(認証番号 ICMS-SR0039)。
個人情報保護の重要性が叫ばれる中、プライバシーマークとISMSという二つの情報管理基準が存在しますが、UEIでは国際化をにらみ、国際的な管理基準であるISO27001に基づく情報セキュリティ管理制度を導入し、世界に通用する情報セキュリティ水準を目指します。
もともとCMSをはじめとする、B2B2C、およびゲームサイト「銀河七海物語」をはじめとするB2C事業を行って参りました。
これまで御陰さまで増収増益を続けて参りましたが、本年度、五期目にしてようやくある程度の規模を持った投資ができるようになり、まず最初に着手したのがこのISMS取得でした。
この規模の会社でISMSを導入するのは、非常に骨の折れる作業で、しかもコストインパクトがかなりあるものになりました。
しかし、お客様の利益と資産を預かるネットワークサービス事業において、情報セキュリティ管理の必要性は年々その意味を増しており、今期は減益となることを覚悟の上で、これの導入に全力を注いできました。
社員証、入管証の発行、社内情報セキュリティ管理基準および情報管理システムの導入などなど、社内のルールを一気に変えなくては成らないので、経営側だけではなく、社員全員の意識改革が必要となりました。
しかし、社員全員がこの情報セキュリティ管理システムの導入意義を理解し、実に迅速に新たな体制へ順応してくれたことで、導入決定から認証までわずかな期間で成し遂げることが出来たことを嬉しく思います。
それとともに、ISMSは毎年審査が入るので、よりいっそうのセキュリティレベルの向上と、社員全員のセキュリティ意識の向上を目指して行きたいと思っています。
なんにせよ、本当に取れて良かった。
MacBookAir、何枚買った?
ついに出ましたね。
僕は2004年にPowerBookG4を買って以来、ずっと待ちこがれていた軽量MacBookというだけでも感動ものなのに、さらにSSDによるフルシリコンバージョンにマルチタッチと新フィーチャー目白押しで心底感動しました。
なにしろ午前2時から5時まで、みんな会社に残ってネットにかじりつきですからね。
Ustreamは8000人試聴という空前の数字になるし、twitterは落ちるし、凄いですよ。いろんな意味で。
究極のキラーコンテンツはスティーブ・ジョブスその人だった、ということですね。
特に、机の上にさりげなく置かれた茶封筒からMacBook Airが取り出された時の衝撃は忘れ割れません。
こういうさりげない演出がニクいわけで。
あまりの薄さに
「この薄さはもう、一台二台じゃない。一枚二枚と数えるべきだ」
と誰ともなく言いだしました。
翌日、会社では「一体何枚買ったんだ?」という話題で持ちきり。
僕は悩んだ末、SSDのやつを一枚、営業マネージャのTさんは「あ、軽いMac出たんだ」と一枚。バイトの近藤君が一枚、新入社員のMくんも一枚。しかもSSD。
中堅社員の連中は軒並み見送り。ハードディスク容量が不満なんだそうな。Time Capsuleも買えばいいのに。
というわけで、去年のiPhone発表以上に盛り上がりました。
iPod touchでiPhoneと同等のGoogle Maps、Gmail、メモ、株価、天気予報が見られるようになったのも地味に嬉しいニュース。2000円くらいかかりますが、その価値はあるアップデートです。
特にGoogleMapに無線LANの位置から現在地を割り出すPlaceEngine的な機能が入っていて、なんとこの機能は東京でも一部の地域で使えるのです。
実際、ボタンを押したら本郷五丁目が出てきて度肝を抜かれました。凄すぎる。
MacBookAirが届くまで、しばらくはiPod touchの新機能で我慢。
まるでラブレターの返事が来るのを待つように、MacBookAirの到着を待つとします。
コンピュータひとつでこんなに胸がときめくなんて、凄い
Macworldを見逃さないためのミニブログ検索
今年もついに一年で最も重要な日がやって参りました。
そう。Macworld Expoの開催です。
前評判に出ていた薄型MacBook、果たして登場するのでしょうか。
期待は高まる一方ですが、僕は午前2時からはじまるスティーブ・ジョブスCEOの講演を聞くだけのUstream中継をいつもどおりonosendai.jpでやる予定です
また、今回は秘密兵器として、先日実験開発したミニブログ検索エンジン feelfind.netを使い、Macworld関係のミニブログ(twitter,jaiku,haru.fm,はてなハイク,feecleなど)を随時受信し、世間様のMacworld情報を一分の隙もなく見逃さないために"Hot keywords"という機能をつけました。
日本語でMacworldに関するミニブログを検索
英語でMacworldに関するミニブログを検索
いまから楽しみです
一体なにが価値を生み出すのか?
今年に入ってからのエントリーで、特にはてなブックマークで注目を集めたものだけに限定して調べてみると、どうも「お金では買えないものはなにか」というところに共通点があるような気がしました。セカンドライフのエントリーしかり、謝罪に関するエントリーしかり、です。
お金では買えないものは、お金にならないものと共通点があるような気がします。
前提として
お金では買えないもの: 売り手がいないもの、または譲渡不能なもの
お金にならないもの:買い手がつかないもの、または譲渡不能なもの
売り手がいない、買い手がつかない、というのは取引の相手がいないというところが共通しています。譲渡不能なものは、どちらにせよ売ることも買うことも出来ません。
いわゆる文学的な意味で使う「お金で買えない価値」とは、「譲渡不能な価値」を意味することが殆どです。
お金では買えないものは、お金にならないものである場合もありますし、そうでない場合もあります。
例えば人気企業の株は、株主全員が「もっと上がる」と思っている時には売り手が存在しません。だからその瞬間は「お金では買えないもの」であるということになります。
世界にひとつしかない宝石や、自分の子どもが書いた世界でたった一枚の似顔絵も、同じく「お金では買えないもの」ですが、買う気になれば買えるものと、買う気があっても売って貰えないものがあります。
つまり以下のようなものが存在します。
お金で買えないもの
買い手は居るが、売り手の所在が不明なもの
買う気も売る気もあるけど譲渡不能なもの
買い手は居るが譲渡不能なもの
お金にならないもの
売る気はあるが、買い手の存在が不明なもの
売る気も買う気もあるけど譲渡不能なもの
売り手はいるが譲渡不能なもの
実は「お金で買えない」か、「お金にならない」かは、売り手または買い手の意識の問題だったり、視点の問題だったりするので殆どは共通していることがわかります。
「売る気はあるが買い手の存在が不明なもの」の買い手を探したり、逆に「買い手は居るが売り手の所在が不明なもの」の売り手を捜したりするのが物流というビジネスです。
譲渡不能なもの、たとえば「体力」や「知性」といったものは、それを持っている人から借りるしかありません。
これが請負というビジネス形態です。
物流と請負、この二つが複雑にからみあって「お金にならないもの、お金では買えないもの」を「お金で買えるもの」に変えるということがビジネスの基本にあるのかもしれません。
たとえばゲームソフトなどは、一見どちらにも属さないようにも思えますが、「人を楽しませる才能」「絵を書く才能」「プログラムを作る知性」「音楽を作る感性」といった譲渡不能な価値を持つ人たちを集め、社員という「請負」契約を結び、マスターディスクという、そのままでは「買い手はいるが売り手の所在が不明なもの」を作り出し、それを量産してパッケージして、全国のゲームショップや玩具屋さんの店頭に並べる物理由によって「買い手と売り手」を結びつける複合的なビジネスと言えます。
ということは、ビジネスの根本にはどの場合にも、「お金で買えないもの」があるということです。ビジネスを考えるうえで、「お金で買えないもの」の存在は非常に重要なのかもしれません。
僕が「お金で買えないもの」に興味を持ったのは、「沈黙の艦隊」を読んでいた時でした。
この作品で最も衝撃的だったのは、大滝議員が独立国「やまと」による安全保障に対し、ロイズ保険機構に要請して世界軍備永久放棄の「保険」を賭けるというシーンでした。
アメリカ政府はこれを「平和を金で買おうというのか!」と一蹴しますが、平和とは本来お金で買えないはずのもので、それを架空の話で実現性に疑いはあるとはいえ、買えるようにしてしまうという発想にとてつもない衝撃を受けたのでした。
たとえば音楽も、もともとはお金にならないものだったのではないでしょうか。
まだ音楽というものを人類が手に入れる前、もしかしたらそれはお金そのものよりも前だったかもしれませんが、そういう頃に、歌を歌ってそれだけで生活をするのは難しかっただろうと思います。
やがて、とても歌が上手な人が現れて、その人は歌うだけで人々を感動させ、愉快な気分にさせることができて、そのお礼にいろいろな人がお金をくれるようになったとします。
しかし、それはそれだけです。収入も僅かなものでしょう。歌はあれば嬉しいですが、なくても誰も死なないものだからです。
ところがあるビジネスマンが居て、彼はその人の歌を、より多くの人に聞かせるために声の良く通るステージを用意し、お金を払わずに立ち去る人が出ないように、先にお金を貰うように工夫し、ステージをまるごと囲いで囲ってしまうとします。
これは立派な興業として成り立ちます。
さらに、ひとつのところでずっと歌っていたら飽きられてしまいますから、いろいろな街を転々としながら沢山の人々に新鮮な感動を提供することで富を産むことを繰り返します。
そして、ラジオが発明されると、そこで歌うことで、一度に数多くの人に歌を届けることが出来るようになりました。しかしラジオの放送は無料で、それだけではお金を産みません。
また別のビジネスマンが、ラジオで品物の宣伝をすることを思いつき、宣伝をして儲かる人を連れてきて、歌を歌う人にお金を渡して歌を歌って貰います。
歌が聴きたくてラジオを付けた人も、ついでに商品の宣伝を耳にして、それを買うことで間接的に歌をお金にしていきました。
それがレコードになり、テープになり、一大音楽産業が生まれました。
では最初にビジネスマンとなった人は、どのようにして「お金にならないもの」をお金になるものへと変えることを思いついたのでしょうか?そういうものを見つけ出し、実際にお金に換えるために必要な能力とはなんでしょうか?
それは永遠の謎です。
とはいえ、結論を抜きにしてブログエントリを終えてしまうのも尻すぼみで情けないような気がします。
敢えて今、冒険を犯す覚悟で、その永遠の問いに自分の想像で答えるとしたら、それはもしかすると、「感性と知見」ではないだろうかと思います。
美しいものやものの価値を見抜く感性、こういう人は共感してくれるだろうという感性、そしてどこでどんな人がこの感性に共鳴し、必要性と価値を感じてくれるか、そのためには出来る限り広く深い知見が必要です。
感性だけではそのものの値打ちが解っても買い手を見つけることはできず、知見だけでは本当に値打ちのあるものを見つけることはできません。
どちらも生まれながらに持っている人は極めて希です。
両方持っている人はもっと希です。
知見か、感性か、いずれにせよそれを磨き上げる努力を怠れば、それは曇ってしまうでしょう。
そういうものを総合して「ビジネスセンス」と呼ぶのかも知れません。
市川崑の演出する、東京オリンピックに涙する
僕はけっこう、本を読むのが好きです。
社長になってからは、企業に関する本を良く読むようになりました。
特に良く読むのは、成功と失敗について書かれた本です。
成功について書かれた本は、「その企業が成功するまでになにがあったか」ということが書かれています。失敗について書かれた本は「その企業が失敗するまでになにがあったか」ということが書かれています。
こうした本を読むことで、僕は成功と失敗を疑似体験することができます。
普段からこうした疑似体験を繰り返しておくことで、いざ自分の会社を振り返ったときに、今はどういう状況なのか、繰り返し繰り返し確認することになります。
特に僕は永続的成功を修めている企業に興味があり、先日↓のような本を読んでいました。
この本は、日本国内にあって100年以上存続している企業について書かれた本で、それらの企業がいろいろな危機に直面しながらも困難を乗り越え、繁栄を続けている様子が描かれています。
そのなかで、繊維産業のユニチカの項目がとても印象に残りました。
実は、東京オリンピックで東洋の魔女と畏れられた日本代表チームは、全員、日紡貝塚(現ユニチカ)で働くOLだったのです。
当時のオリンピックでは、女子バレーボールチームは代表選抜ではなく、国内予選に優勝したチームがそのまま出場するものだったそうです。
1961年、日本が戦争の傷跡からようやく立ち直りかけた頃にヨーロッパ遠征で22連勝し、「東洋の魔女」「東洋の台風」と怖れられます。
開けて1962年、日紡貝塚は宿敵・ソ連との戦いのなかで、強烈なソビエトのスパイクを止めるため、柔道の受け身に似た体勢で遠心力を利用して打ち返す、回転レシーブという画期的な戦法が考案され、手元で微妙に揺れる変化球サーブとともに強力な武器となります。
社会主義国でエリート待遇を受けるソビエト連邦の選手と違い、日紡貝塚はあくまで実業団なので、驚くべきことに昼間は通常に会社員としての業務をこなし、終業後に疲れた身体を引きずってきてはひたすら回転レシーブの特訓に明け暮れていたのだと言います。なんという不屈の精神力でしょう。
そしてとうとう、大松博文監督に率いられた日紡貝塚女子バレーボールチームは世界選手権で全勝優勝を果たし、当時世界最強と言われていた強敵ソビエト連邦チームを斃します。
当時の国内情勢は想像するしかありませんが、日本人チームが世界大会で優勝したのはこれが史上初めてのことで、このことが焼け野原から立ち上がってきた日本の人々たちをどれだけ勇気づけたかわかりません。
そして1964年、東京オリンピックで再びソビエト連邦と相まみえます。
市川崑といえばとても印象的な映像作りをする映画監督で、エヴァンゲリオンの庵野秀明監督の作品にもよく市川作品を引用したと思われるテクニックが見られますが、そのせいか今みても色あせないカメラワークに驚かされます。
東京オリンピックは記録映画なのですが、市川監督が演出することで、とても美しい映画になっています。
冒頭、破壊される東京から映画は始まります。
東京オリンピックは日本が近代化するなかで最大で最後のイベントだったと言って良いでしょう。
東京オリンピックをきっかけにつくられたものは
道路
・首都高速道路
・名神高速道路
・環七通り
・六本木通り
競技場
・国立競技場
・日本武道館
・駒沢オリンピック公園
・岸記念体育会館
交通機関
・東海道新幹線
・東京モノレール
宿泊施設
・ホテルニューオータニ
・ホテルオークラ
・キャピトル東急ホテル
・東京プリンスホテル
と、現在の東京を象徴するような施設ばかりです。
これらの施設が軒並み1964年を目指して建設・整備されたことは本当に驚くべきことです。
また、オリンピックの開会式である10月10日は、現在の「体育の日」として残っています。
そして感動を呼ぶのが、なんといっても聖火リレー
ギリシアのオリンピアで採火式が行われ、ビルマ、マレーシア、タイ、フィリピン、中華民国、そしてアメリカ占領下の沖縄、広島を通過するところ、原爆ドームのまわりに大勢の人々が集まり、聖火ランナーを見送るシーンで涙がボロボロこぼれてきてしまいました。
1945年の太平洋戦争の終戦からわずか19年後のことです。
老婆や老父がとても複雑な表情で聖火ランナーを見送る様を、市川のカメラは鋭く切り取ります。
子どもがはしゃぎながら聖火ランナーを追いかけるとき、これがまさしく平和なのだと、スポーツとはかくも素晴らしいものかとあらためて刮目させられる思いでした。
富士山の裾野を聖火ランナーが走る映像も、奇跡のような美しさです。
そして最後に東京に入ってくる聖火ランナー。
彼は当時19歳の陸上選手。1945年8月6日、原爆投下の日に広島でうまれた少年が、聖火台への階段を駆け上る様は、日本復興の象徴と言えるでしょう。
事実というものの素晴らしさ、ドキュメンタリーというものの力強さ、そうしたものに本当に感動しました。
女子バレーボールとソビエト連邦の一戦も、激しいカット割りで芸術的に仕上げられ、辛くもソビエトに勝利した東洋の魔女達の潤んだ瞳と呆然とするソビエトチームの表情のあと、大松監督が静かにベンチへ腰を下ろすシーン。まさに昭和の男の生き様を見た思いでやはり感動します。
東京オリンピックにおける「東洋の魔女vsソビエト」戦の視聴率は66.8%で、日本スポーツ中継史上最高記録を誇っていて、未だにその記録は破られていません。2002年の日韓戦でも敗れなかったこと自体が、このオリンピックが当時の日本に与えた影響の大きさを物語っていると言えます。
思い入れたっぷりに見るととても凄い映画ですが、そうしたものがないと退屈かもしれません。
それでも事実をとてつもなく鋭く、美しく切り取る市川演出はエンターテインメント産業に関わる者として必見の出来で、それだけでも見る価値があります。
さらに、ネットなどで予備情報を仕入れて当時の日本人になったつもりで思い入れたっぷりに見ると何度見ても泣ける傑作です。
ミニブログのための感情検索エンジン feelfind
今年の目標は、非言語型サービスをたくさん12個作ることです。
非言語型サービスとは、言語や文化に依存しない、人類共通の普遍的なサービス価値を提供するサービスということです。エジケンのlingrがいい例ですが、日本人が企画してシリコンバレーでアメリカ人が開発したにも関わらず、イラン人の間で流行しています。
まず手始めに、ミニブログのための感情検索エンジンfeelfind.netというのを作ってみました。
feelfind.net search engine for mini blog
ミニブログ、つまり一行ブログの面白いところは、あらゆる感情が一行に集約されていることです。
あるキーワードで検索すると、そのキーワードについて良い、悪い、などという反応の合計が返ってきます。
単語ベースで検索すると、どんなことについてポジティブな見解を持っているか、などということが解るようになっています。
haru.fm,twitter,jaiku,はてなハイク,feecleなどの書き込みを一括で検索できるようになっています。
責任者にとってもっとも重要な能力
僕は責任者です。代取だから。
日本には150万以上の企業が存在し、社長や代表取締役と呼ばれる人たちは少なくとも同数。代表取締役は二人以上いるハズですから、実際にはさらに多くの責任者が存在することになります。
世の中にはこれだけ多くの責任者が居るのですが、そのうちの何人かは僕のとても大切な友人です。
あるとき、そんな友人のうちの一人の、とても良くない噂を耳にしました。
「どうも、アイツの話が信用できない。その場凌ぎの嘘ばかりついて自分の会社のミスを殆ど認めようとしない」
「明らかにアイツがわるいハズなのに、取引先には部下のせいにして逃げる。部下の人選だってアイツの責任なのに」
「社員に対して目に余る言動を繰り返していて、言われた当人だけでなく、社員全員の心が離れている」
これはまずいな、と思いました。
彼は僕にとってとても大切な友人で、彼にはとても感謝しなければならないことが沢山あります。
それで、僕はピンと来たのです。
なぜ彼がそんな状態に陥っているか。
彼はおそらく「謝罪」が下手なのです。
会社を立ち上げたばかりの頃は、自分が自ら現場の先頭に立って仕事をこなしつつ、会社の資金繰りや営業をしなければなりません。
普通のサラリーマンの仕事の三倍以上の仕事を同時にこなさないと、会社は立ち上がりません。
一日8時間労働が普通のサラリーマンだとすれば、その三倍の24時間働かないといけないことになります。もちろんそれは無理なので、20時間くらいでなんとか2.5倍くらい働くことになります。
2.5倍は3倍に足りないので、必ず破綻します。
するとどんどん余裕が無くなってきます。
スケジュールが破綻すると請求書を出し忘れたり、入金の確認を忘れてしまったりして、ある日突然資金がなくなります。儲かっているはずなのにお金がなくなるのです。
こうなるともう大変です。
必死で立て直さなくてはなりません。
会社が出来たばかりの頃は銀行もお金を貸してくれません。だいたい三年くらいは貸してくれませんし、三年以上経っても経営状態が悪ければ貸してくれません。
それに、社長の仕事にはマニュアルもなければ上司も居ません。
千尋の谷に突き落とされた状態から自分で崖を登らない限り、社長として一人前になることはできません。
ふつう、絶対に失敗します。
お客様や支援者や株主の方に迷惑をかけることになります。
そうすると創業時の社長の仕事はなんになるのか。
絶対に失敗するはずなので、絶対にやらなければならないこと、それは謝罪です。
世の中のサラリーマンで謝罪の仕方について教育を受けている人は希です。
起業するのはたいていの場合、優秀なサラリーマンですから、そもそも誰かに謝るような状況を経験していることも希ですし、サラリーマンの場合、他人のせいにして言い訳するのも処世術のひとつとすら見なされている場合があります。だから自然にそういうクセがついて、正しい謝罪の仕方を知らないことが多いのです。
さて、謝罪の方法を説明せよと言われたとき、謝罪の方法について説明出来る人は少ないと思います。
「頭をさげてとにかくあやまるだけじゃダメなの?」
と思うかも知れません。
ダメです。
そういう人のためにとても良い本があります。
「一分間謝罪法」という本です。
謝罪とは、ロジックです。
謝罪法とは思考法です。
謝罪するような状況はふつうの人にとっては滅多にない状況なので謝罪の仕方が解らないんだと思います。しかし、謝罪法はビジネスのみならず恋愛関係、友人関係など、全てに通用します。
そもそもなぜ謝罪を必要とするのでしょうか。
なぜ相手は怒ったり、悲しんだりしているのでしょうか。
その裏側には、必ず貴方への信頼があります。信頼を裏切られたことに対して落胆したり、怒りを感じたりしているのです。
・ミスを犯す
↓
・怒っている/困っている
↓
・ひたすら謝る
という単純な図式しか考えないと、謝る台詞にも説得力がありません。
本当はこうなのです。
・貴方を信頼している
↓
・ミスを犯す/信頼を裏切る
↓
・怒っている/困っている
↓
・謝罪する
ふつうの人は、たいてい、人生で誰かを怒った経験があると思います。
そのときに、相手がひたすら頭を下げてきたらどう思いますか?
ささやかな征服感は満たされるものの、それだけです。
赦してあげる気分になるでしょうか。
相手はひたすら「ごめんなさい」「すみません」「もうしません」を繰り返して反省をアピールしますが、同じミスを二度も三度もしたらどうでしょうか。
「この人は頭を下げるだけでなにも反省していない。もうダメだ」と思って二度とその謝罪の言葉を信用できなくなります。
これでは結局、長期的には関係を壊してしまうのです。
ビジネスの場合、これは致命的です。
謝罪を成功させるためには、相手の主張をいちど全て受け止め、それから原因と問題点を客観的に明確化し、対策を明示する必要があります。
少なくともその人と長期的に良好な関係を構築したければ、そうするしかありません。
「あいつがモタモタしてたから遅れてるんです」
なんていう言い訳をしても、まるで無意味どころか逆効果であることは火を見るより明らかです。
しかし人は弱い。どうすればいいか解らないから、勘だけで最も簡単な方法、最も自分の心が傷つかない方法、すなわち第三者に責任転嫁することを選択してしまうのです。
責任者である社長は、絶対に責任転嫁をしてはいけません。
とすれば、相手が怒っているような状態、相手を困らせてしまったような状態では、まずこう考えることです。
「先方は僕を愛して、信頼してくれていた。その愛情を僕は裏切ってしまった。自分が愛している人が同じことをしたら僕はどう思うだろうか。たとえ先方に原因の一端があったとしても、それを正しく指摘できなかったのは僕の責任だ。だとすれば、二度と同じことが起きないように、やり方を変えるしかない」
失敗というのは不可避なものなので、その前提で「僕の考えが未熟でした。これに対策するために、今度からこういうかたちのお仕事の進め方にさせてください」とお願いするのです。
こうして謝った場合、赦してくださらなかった方はいらっしゃいませんでした。
なぜなら、ビジネスの場合、契約関係が成立している時点で、一度はお互いを信頼しているはずなのです。
その信頼が揺らいだことに先方は動揺しているだけで、失敗が起きたことに対する対策には必ず答えがあります。
ミスは犯すが、同じミスは二度と犯さない、ということを相手に信頼してもらうしかないのです。
どうしてもダメな場合であっても、お互いに良好な関係で別れることが出来るはずで、チャンスがあればまた契約をしてもらえるはずです。
僕は失敗を犯してしまう前よりも、失敗を犯して謝罪をした後のほうが、むしろ先方から信頼されている気さえします。
ビジネスとは真っ暗闇の階段を降りていくようなものです。
そこに目的地があると信じて、周到に計画を立て、知恵と勇気を振り絞り、暗闇に一歩一歩踏み出していくのです。
取引先とはビジネスの回廊をともに歩むパートナーであり、目的を共有し、互いに励まし合いながら先の見えない恐怖と戦うのです。
この局面においては、お互いの信頼ほど重要な要素はありません。
そういうわけで、その友人には一分間謝罪法をプレゼントすることにしました。
愛と友情のインターフェース
車中の会話
「プラットフォームが普及する上で本当に大切なことってなんなんですかね?」
「プラットフォームって?」
「例えばプレイステーションとか、セカンドライフとか、プラットフォームじゃないですか。iモードもそうですけど」
「そうだなあ、いろいろな要因はあると思うけど、ユーザから見たときの使いやすさや伝わりやすさはもちろん重要だよね」
「でも例えば、初代プレステとサターン、PS2とドリームキャストってそんなに解りやすさに歴然とした差はないじゃないですか。いろいろ要因はあるだろうけど、結局なにが決め手だったんでしょう」
「開発者に対する解り易さ・・・インターフェースだね」
「コントローラの形状ですか?」
「いや、違うよ。今風に言えばAPI(アプリケーションプログラムインターフェース)に決定的な違いがあったんだと思うんだよね。プレステのライブラリとサターンのライブラリでは明らかに出来ることが違ったしね」
「そうなんですか。そんなにAPIによって変わるもんですか」
「だいたいみんな、APIとか気軽に言うけど、気軽に考えすぎなんだよね。マイクロソフトなんか何万人も社員が居て、APIを考えて決定する立場の人は100人も居ないわけで、APIを作るっていうのは超エリートの仕事なんだよ。APIは、いわば法律だからねえ。高級官僚くらいの難易度の仕事だよ
APIが違うっていうのは、ユーザーインターフェースが違うのと一緒なのでこれがダメだと全部がダメになるよね」
「つまらないゲームっていうのはユーザーインターフェースが悪いわけだ
たとえば、レースゲームなんて無数にあると思うけど、面白いレースゲームとつまらないレースゲームは、もう画面見ただけでなんとなく想像できるでしょう。たとえばメーターの位置がおかしいとか、コース図があるとかないとか」
「ああ、見ただけで操作方法が解るかどうか、とかですかね」
「そう。ゲームはアーケードに始まっているから、まずインターフェースに触ってもらえないと商売にならない。だからゲームのインターフェースは他のものに比べて圧倒的に洗練されているよね。マニュアルを読まないと遊べないゲームというのは今は殆ど無い。これがインターフェース」
「それがプログラマにとってはどういうことになるんですか?」
「OSやハードウエアとのインターフェースも同じさ。ただし目に見えないから良し悪しが瞬間的には解りにくい。だからAPIの出来不出来の差はよほど詳しくないとすぐには見抜けないわけだ」
「でも最近APIって流行ってますよねえ。Web-APIとか」
「たいていのWeb-APIなんて、OSが用意するような膨大なAPIからしてみたら、簡単すぎて何も出来やしないよ。AmazonのWeb-APIはかなりたくさんあって、本当にそれ自体がOSに近いレベルまで来ているけど、そんなに出来のいいAPIは本当に一握りしかないと思う。だからAPIを作っても使われないことが多いんじゃないかね」
「確かにあんまりマッシュアップを使ったサービスって聞かないですよね」
「しかもGoogleに関して言えば、APIはあんまりちゃんとは作ってくれないよね。簡単に使えるレベルではあるけど、実際にはアクセス回数などに凄い制限があったりして、まじめに商売に使うのは難しい。きちんと使われているのはGoogleMapのAPIくらいじゃないかな。APIというよりライブラリに近いけど」
「そうですね。埋め込むものですね」
「ただ、たとえばブログパーツとかアクセスカウンタとかも、広い意味ではAPIで、あれって埋め込むだけで目的を果たせるから凄く重宝するわけだ。Web-APIとして提供されているサービスは実はものすごくシンプルなことが多いんだけど、実際にはシンプルであることに物凄い価値があるんだよね」
「かつては、OSみたいなものがあらゆるサービスを提供するからOSのAPIは非常に重要だったけど、今は違うということですか」
「シンプルなサービスを組み合わせてより複雑なことをやらせよう、やりたいという方向に進化している。オープンソースのPEARや、きっとCPANもそうだけど、無数のプログラマが無数のライブラリ(つまりAPI)を投稿しているけど、本当に多くの人に使われるのは一握りで、それを決定するのはAPIの出来の良さ、わかりやすさ、シンプルさなんだよね」
「じゃあやっぱりインターフェースってシンプルな方が良いんですかね。iPodみたいに」
「使い方をシンプルにしようとすると、実はAPIの実装はとんでもなく複雑になるんだ。Webの世界の中で最もシンプルなユーザーインターフェースはGoogleのトップページだと思うけど、Googleの検索エンジンの中身は複雑かつ大規模であるのと同じように、シンプルなインターフェース、シンプルなAPIを提供するためには高度な技術的裏づけが必要になるんだよね」
「たしかにGoogleAnalyticsとか、使う側はHTMLを埋め込むだけですけど、あの集計プログラムにはかなりの手間がかかってますよね」
「プラットフォームというものを考えたとき、プラットフォームが開発者に対して提供するのは実はAPIの塊でしかないんだよ。Windowsでもゲーム機でも。そして例えば動画の再生とか、動画をテクスチャマップするだとか、言葉や概念が単純なことでも、APIの出来が悪いと無茶苦茶大変だったりするんだよ。95年当時のDirectXがどれだけ複雑だったか知ってる?」
「いや、知りません」
「95年から97年くらいにかけて、DirectXは画面にただ一枚のポリゴンを描画するためだけに、A4にして400ページくらい、ソースコードにして1万行くらいのプログラムが必要だったんだよ。しかもそのコードの99%以上がDirectXの"初期化"に絡んだ部分でね」
「ええっ!嘘でしょう」
「いやホント。僕はその初期化をカプセル化するライブラリを作って配っていたから間違いない。5万人くらいのプログラマが僕のまとめた初期化ライブラリを使っていたよ。初期化ロジックの中身はサンプルをそのまま使っただけだけど、大事なのは初期化を一行でできるようにすることだったのさ」
「1万分の1の手間になるわけですか」
「DirectXの初期化が面倒なうちは、誰もDirectXでプログラムを書こうとすら思わなかった。でも一行で初期化できるとしたら、世界が変わるよね」
「なぜそんなことが起きたんですかね」
「初期のDirectXチームはまずWindowsが動くありとあらゆる環境に適合することを最優先したため、ありとあらゆる場合を想定したAPIを用意していたんだ。彼らの失敗は、APIの設計そのものではなくて、SDKに添付したサンプルコードがどんなに短いものでも1万行以上あったということだ。それを読みたいと思う人間はまずいないよ。僕がDreamcast向けのSDKで最初にやったことは、サンプルコードを100行以内で書くということだった。もともと彼らが用意していたサンプルコードを全てゴミ箱に捨てて、たった一つの点を画面に打つサンプルや一枚のポリゴンを表示するサンプル、という具合にサンプルコードを出来るだけコンパクトに、シンプルにしたんだ。ただそれだけのことで開発者は10倍以上に増えたと思うよ。僕が入った時点で3社くらいしかつかってなかったけど、最終的には200タイトルくらいで使われたそうだしね」
「それもまた開発者とのインターフェースですね」
「そう。ということは何事もやっぱり大切なのはインターフェースということだな。UEIのIはインコーポレイテッドではなくてインターフェースということにするか」
「営業の仕事も結局はお客様と開発のインターフェースに徹することですからね」
なぜ電脳空間カウボーイなのか?
第二回天下一カウボーイ大会の告知を含めた放送、全六時間にわたりお送りしましたが、本当に心底疲れました。
それでも常時100人以上の視聴者の方に見ていただいて、ひとまず成功だったかなと思います。最盛期は160人、放送終了時でも120人以上のかたがたに見ていただけて良かったです。
そもそもなんで日本人なのに「コンピュータカウボーイ」なんだよという話があったりして、
きっとそういう人はウィリアム・ギブスンのニューロマンサーを知らないに違いないのです。
サイバースペース(電脳空間)という単語そのものを定義したのがニューロマンサーであり、ニューロマンサーなくしては攻殻機動隊もマトリックスもありえないのですよ。
ニューロマンサーの舞台は千葉から始まる。
千葉は闇クリニックのメッカであり、コンピュータを巧みに操り、さまざまな任務(ラン)をこなす腕っこきのコンピュータ・カウボーイ(ジョッキーとも呼ばれる)の集う電脳都市でもある。カウボーイ達は自らの脊椎にジャックを外科的に埋め込み、コネクターを直接神経に接続することで文字通り"人馬一体"となって電脳空間へと没入(ジャック・イン)する。
つまり日本こそコンピュータ・カウボーイの集い、暮らすメッカであり、本場アメリカのカウボーイはきっとその年代になっても牛を追いかける文字通り牧童であるに違いない。
物語世界を離れてみるに、なぜコンピュータ・ハッカーを「カウボーイ」と称したのかは実はSFの歴史的側面がある。
SFにはもともと、科学的なギミックと思考実験が主体の"ハードSF"に始まりますが、科学的知識が前提にないと楽しめないため、より一般向けに科学的な設定だけをまねてストーリーを優先した「スペースオペラ」というものが1920年代のアメリカで流行し、これは後に「スターウォーズ」に代表される文化を生み出します。
スペースオペラのストーリー的なルーツは、それ以前から定着していたソープオペラ(メロドラマ)やホースオペラ(西部劇)にあるとされ、科学的な考証よりもドラマ性を重視するためそう呼ばれる・・・らしいのです。
スペースオペラ研究の大家、そしてガチャピンのモデルとしても名高い野田昌宏氏の「SF英雄群像」によれば、原初のスペースオペラは火星の牧場にあらわれた宇宙ギャングを宇宙カウボーイが宇宙船で追い回して撃退する、みたいなとてつもなくヌルいストーリーだったのだとか。このことはスペースオペラの源流がホースオペラ(西部劇)にあることが想像できます。
SF英雄群像―スペース・オペラへの招待 (ハヤカワ文庫 JA 119)
- 作者: 野田 昌宏
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2000
- メディア: 文庫
こうしたスペースオペラの主人公である「スペースカウボーイ」の頭に「サイバー(電脳)」がついて、大暴れする舞台を宇宙から電脳空間(サイバースペース)へと移し、八面六臂の活躍を繰り広げるというのはなんとも納得のいく話です。
西部劇は開拓時代のアメリカ西部が舞台、スペースオペラの舞台はまだ未開拓の銀河系とくれば、サイバースペースオペラの舞台は電脳空間と80年代当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本の首都圏であったというわけです。
つまり、電脳空間オペラに登場する電脳空間カウボーイの一流どころは当然のように日本に住んでるはずで、だとすれば現代の秋葉原を抜きにその隆盛は語れないのではないかと思うわけです。
しかしレンズマンや宇宙のスカイラーク、スターウォーズといった比較的能天気なスペースオペラに対して、サイバーパンクのなんと暗いことか。当時の世相を反映しているのだと思いますけど、マトリックスにしろ暗すぎです。
もっとバカみたいに明るい、サイバースペースオペラと呼ぶにふさわしい、バカそのものの作品はなぜ出てこないのでしょうか。
明るいサイバーパンクといえば、「京美ちゃんの家出」をはじめとしたミルキーピアシリーズは良かったのですが、それに続く作品がなかなか出てこないのは、やはり大家に遠慮している人が多いのでしょうか。
ギートステイトは、ある意味でそうした「明るいサイバースペースオペラ」的な作品になってくれないかとひそかに期待していたのですが、ちょっと遅れているようで少し残念です。
早く明るいサイバースペースオペラが読みたいですなあ
最近乱発されている「メタバース」という言葉の語源であるスノウ・クラッシュもかなり痛快な話なのですが、いかんせんまだ少し暗い感じがするんですよね。
スノウ・クラッシュはプログラマやWebサービスを考える人にとっては必読書と言って良いほど素晴らしく面白く痛快な小説ですが、この小説におけるメタバースって、あまり凄い意味をもってないんですよね。ガジェットとしては機能してますけど、メタバースである必要がありまない。たぶん、ジャックインするという発想があまりに突飛なので中間地点を考えた、という程度なのではないかと思います。
スノウ・クラッシュのメタバースと京美ちゃんの家出の仮想空間はほとんど一緒だし、仮想空間におけるさまざまな描写は京美ちゃんの家出の方が圧倒的に細やかだしリアルですね。もし仮想空間に興味があるなら、どちらも必読書です。
スノウ・クラッシュの主人公はカウボーイではなくて高速ピザ配達人ですが、それでも移動する仕事の人には変わりないです。現代のカウボーイの生業はピザ配達やバイク便なのかもしれません。