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仮想世界あれこれ

クリスマスイブだというのに200超のブックマークをいただいて、はてなユーザの生活を垣間見た思いですが、まあクリスマスの夜だというのにブログなんか書いてる僕も50歩100歩です。


メタヴァースもの、というのはもちろんセカンドライフが初めてではありません。


最も有名な例は1986年にジョージ・ルーカス率いるルーカスフィルム・ゲームズ社がβテストを行ったハビタットというサービスです。




ハビタットは最初期のサービスでありながらとんでもなく高い自由度を誇っていました。

ハビタットの機能・特徴は以下の通りです

  1. アバターと呼ばれるプレイヤーの分身を操作して仮想世界を歩く
  2. アバターの顔や服は仮想世界で販売されている
  3. リージョンと呼ばれる領域に別れ、複数のリージョンによって世界が作られる
  4. トークンとよばれる通貨があり、仕事をすることでトークンがもらえる
  5. プレイヤーが勝手に会社を作ったり、政府を作ったりすることができる
  6. 「オラクルの噴水」でお祈りすると、システム管理者とチャットできる
  7. テレポーテーションは街中にある電話ボックス型のテレポテーションボックスを使うとできる
  8. アバターは殺されることがある。殺されると自分のアパートにテレポートする

この時点でセカンドライフとかなり共通する機能を持っていたことに改めて驚きます。
ハビタットについて書かれた論文を読むと、今でも通用しそうないくつかの教訓を得られたことがわかります。

ハビタットの社会を分析したこちらの論文も面白いです。初めてハビタットの神(プログラマー兼システムオペレーター)となった人がまとめたハビタットの伝説(日本語訳)

この論文はとても示唆に富んでいます。いわく、ハビタットには全体の半数を占める「受動者」と、それに次いで多い「能動者」、さらに会社をつくったりイベントを仕掛けたりする「先導者」、初心者を救済しシステムの穴を人力で埋める「介護者」、そしてシスオペたる「神」の五段階のユーザが居た、ということです。

ハビタットの利用料は1分につき約10円(8セント)でしたが、ヘビーユーザにとってこれは衝撃的なくらい高いコストになっていたようです。それはそうでしょうね。

ヘビーユーザは一ヶ月に1000ドル(10万円以上!)も接続料を払ったのだという。しかしこんなモデルはうまくいくはずがなかったわけです。

ハビタットは全てのネットワークゲームの祖とも呼べるくらい、さまざまな要素の絡んだ素晴らしい実験であったと言えます。「アバター」という言葉などはハビタットによって初めてもたらされたと言ってよいでしょう。

ハビタットの時代は、シスオペがかなり仮想世界の構成や構築に関して積極的に関与し、ユーザとの対話からシステムを動的に変化させていくことが重要な役割を果たしていたように見えます。これも最近のWebサービスにおける「開発者ブログ」や「開発者とのコミュニケーション」というものに近いものだと言えるでしょう。

ハビタットはあまりにも凄すぎて、その後何年も追従するサービスは現れませんでしたが、インターネットの世界になると同時期くらいに、Sonyが開発したCommunityPlaceという仮想空間エンジンをもとに仮想空間サービスがいくつか作られました。

これはVRMLという、仮想空間記述言語(HTMLに相当する)をベースにした技術で、HTMLを書くのと同じようにVRMLを書くと、仮想世界上の物体を定義できるというきわめて野心的なものでした。

僕もCommunityPlaceのユーザでしたが、根本的にマシンスペックに対してびっくりするくらい動作が重いのが最大の弱点でした。また、通信速度も全く足りていませんでした。当時は14.4Kbpsくらいのモデムが最先端でしたが、とても足りませんね。

ただ、ユーザがプログラムした3Dオブジェクトを交換するという試みは当時とても珍しいものに感じました。

セカンドライフに通じる部分です。

このCommunityPlaceも、Sony自体もどうすればいいのかもてあましているように見えたのですが、結局「ちょっと変わったチャットサービス」ということで落ち着いてしまったのは実に残念です。



Ultima Onlineは仮想世界として世界で始めて成功したビジネスです。
1997年からスタートし、MMORPGが無数に乱立する現在でも高い人気を誇る普及の名サービスと言えます。

UOは世界のみならず、社会、生態系までもの再現を行おうと試みられています。

プレイヤーは家を建てたり、船を買ったりすることができ、家を建てるのがプレイヤーのひとつの目標となることや、町の外には危険があったり、街中でも殺人犯やスリといった悪徳プレイヤーにだまされたりといったことが再現されているのですが、特徴的なのは運営側が「悪徳プレイヤーの存在もまたゲーム性である」と明言していたことです(今現在はどうなったのか知りません)。

UOの提供するゲーム性と自由度は極めて高いレベルにあり、しかもあくまでも基本は「ゲーム」であるというところに軸足が置かれているため、単に仮想社会であるだけでなく、ユーザが楽しめるような道しるべやイベントといったものがシステム側主体で用意されたりします。

そのあたりが、あくまで運営側がシステムの開発と維持に徹して、イベントごとは全てユーザに委ねるメタヴァース的世界観とMMORPGとの一番大きな違いであると言えます。

メタヴァース的システムがなぜ積極的にユーザをもてなさないかというと、これはツールとエンターテインメントの違いであるとも言えます。

ツールとは、ワードプロセッサやWWWブラウザのようなもので、エンターテインメントは映画やゲームであると言えます。

エンターテインメントには必ず臨界点があります。

どんなに凄いソフトでもスーパーマリオの販売本数は1億本です。
これは凄く稀な例で、ふつうはどんなに売れても100万本くらいです。

これは「面白い」と思うものが本質的に人によって異なるからです。
みんなが普遍的なテーマを扱おうとしますが、普遍的な感動というのはなかなか存在しないのです。

どれだけ「セカチューが泣ける」と聞いても、「おれは別にわざわざ映画を見て泣きたいとは思わない」という人は永久に見ないのです。どれだけ「銀河ヒッチハイクガイド」が名作であると力説しても、東浩紀さんは「どうせ読まないからオチだけ教えてくれ」と言ってくるのです。本職の批評家ですらそうなのだから、単一のエンターテインメントで全米が泣くことなんか有り得ない。

逆に言えばエンターテインメントは臨界点があるから零細企業や新興企業の入り込む余地があると言えます。

またエンターテインメントは一過性のものです。どんな名作でも、終わってしまいます。終わらない名作というのはエンターテインメントには有り得ないわけです。ふつう、作者が死んでしまえば続きは作られることはありません。凄い例外はドラえもんやサザエさんなどの長寿アニメです。しかし作者が死んでなお、生前の作者がつくったのと同程度の新作をつくることは困難です。

エンターテインメントには需要があるからこそ、人々はエンターテインメントを消費でき、クリエイターは新作を作り続けることができるのです。

しかしツールにはそうした臨界点はありません。

誰もがワードプロセッサを使い、誰もが当然のようにWWWブラウザを使っています。

ツールは人類全てが使うことになってもおかしくないわけです。
車輪を使わない人類はもうほとんど居ないと思います。

車輪というツールに臨界点がないことの証左でしょう。

しかし人形浄瑠璃を楽しまない日本人は山ほど居ます。そういう僕も見たことがありません。

セカンドライフはツールとしてのメタヴァースを目指し、UltimaOnlineはエンターテインメントとしての仮想世界を実現した、と言えるでしょう。

どっちがよりビジネス的に大きいかといえば明らかに前者なわけですが、実際にビジネスとして大きくなる前にいろいろなことが先走ってしまった感は否めません。いまのところ、実際にビジネスとして存続しているのはUOなのです。

セカンドライフがツールとして不十分なのは、どうも根本的なビジネスモデルにあるような気がします。

たとえば、HTTPのようにメタヴァースのプロトコルが定められて、誰でもサーバを設置できて世界を相互接続できるような仕組みがあれば、そっちのほうが遥かに低コストでツールとして流行りそうな気がするのです。

WWWが普及した背景にも、サーバは誰でも設置できた、ということが大きいと思います。

それがアメーバのように相互接続され、結果として世界に広がっていったわけです。
今のインターネットは一企業が全ての世界を管理することは不可能に近くなっており、世界全体を管理しようとするとそのことが逆に臨界点を生じさせてしまっています。

それよりは世界は解放されている前提で、世界を探るための道しるべを提供する、たとえばGoogleやYahooがそうしているように、またはInterNICがそうしているように、メタヴァース的なサービスを誰もがホストできるようにして、そのインデックスだけをランデンラボが管理するようにすれば、サーバの運営コストは外部に吸収され、リンデンラボはメタヴァース的ソフトウェアの改良だけに注力できたのかもしれません。

ビジネスのあり方を二種類に分けるとすると、ひとつはエンドユーザから直接お金をいただく方法、もうひとつは他の会社がエンドユーザからお金をいだたけるようにする方法があると思います。

たとえばコンテンツを作って有料課金するのは前者、コンテンツ管理システムを作ってコンテンツプロバイダに提供したり、無料コンテンツを作って広告収入を得たりするのは後者です。

言うまでも泣く、UltimaOnlineは前者で、セカンドライフは後者です。

しかしYahooも後者で、Googleも後者であることを考えると、セカンドライフは仮想世界における後者モデルの最初の勝利者となれる可能性は十分に秘めていたと思います。

あとは技術的な問題。とりわけ、外部の開発者に対する教育や指導にあまり熱心だったように思えず、見た目や装飾についての部分だけとても熱心だったように感じます。

僕はゲーム機向けソフトウェアプラットフォームやミドルウェアというものを何年も商売にしているので痛感しているのですが、ソフトウェアの開発者というのは、ハードルが低いことよりも、それに人生の貴重な時間を使って学習する値打ちがあるかということを第一優先に考えるわけです。ミドルウェアは本来、開発者の学習時間を短くするために使うはずですが、開発者にしてみれば、ミドルウェアの使い方を学習するということも貴重な時間の使い方のひとつですし、そのミドルウェアや思想に将来性がなければ、いとも簡単に見捨ててしまいます。

FlashでつくるかAjax(javascript)で作るかという議論をよくしているのですが、適材適所という言葉があるように、Flashで作るべきところとAjaxで作るべきところはきちんと分けなければいけません。しかし、僕個人の考えでは、ほとんどの場合はFlashで作ったほうがより高度なものが作れるとおもっていますし、それを勉強するための時間は決して無駄にはならない(特にActionScript3.0に関しては)と思っています。

技術にも旬があり、ハビタットの頃の常時接続、CommunityPlaceの頃の3Dというのは明らかに早すぎました。何年もの間無視されていたAjaxがGoogleMapで花開いたように、技術というのは根本がしっかりしていれば何度でも再評価されます。

うーん、だとしてもLSLはイケてない。LSLを極めるのに人生の貴重な時間を使おうとはやっぱりまだ思えません。ActionScript1.0の頃のFlashみたいなものです。このままでは駄目なはずで、そのときかなり大幅なパラダイムシフトが必要で、そのときこそ再評価されるだろうということです。


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