セカンドライフの失敗から学ぶべきいくつかのこと
さすがにそろそろ公然と「セカンドライフは失敗したね」と言っても世間様に受け入れていただけそうな空気になってきたので、思っていたことをぐだぐだ書いてみたいと思います。カウボーイ大会の興奮が凄すぎてまだ眠れないので
半年くらい前、国内でのセカンドライフは完全にバブル状態だったのですが、誰もがこれがバブルだと認識しつつ敢えて踊らされる側に回った、というのがとても印象的でした。知人のセカンドライフビジネス関係者で本気でセカンドライフをやっていこうとしているのは1割もいませんでしたし、みんな心のどこかで「まあこんなの今だけだし」と思っていた点は否めません。
セカンドライフはCTOが解雇されるなど、完璧にグダグダなモードに入っています。それにしても、あまりにも早い幕引きだったなと思います。Web2.0はまだ成長途上にあるともいえますが、その先にあると期待されていたメタヴァース(セカンドライフ的なシステムすべて)があっさりと失速してしまったのは印象的です。
既にさまざまなところでセカンドライフの「失敗」について議論がなされていますが、僕が個人的に前々から思っていたことをまとめ、「ではセカンドライフ的なものはどうすれば成功するのか」考える糸口にしたいと思います。
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サーバの処理能力が低すぎた→同時ログイン20人は21世紀のサービスとしてどうか
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ビジネスモデルが未熟過ぎた→良い面もあったが、悪い面も多かった
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システムの自由度が低すぎた→LSLは本質的になんでもできそうでなにもできなかった
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急速に普及させすぎた→ブームをしかけるタイミングを誤った
1と3はいいとして、まず問題なのはビジネスモデルだったのではないかと思います。
ユーザがお金を払って、ユーザ同士が架空世界でお金をやりとりする。
このアイデアそのものはすばらしいものですし、セカンドライフ以後も、同様または同等のビジネス形態は発展していってほしいと思わせるだけの魅力のあるプランです。
しかし、ユーザが価値(この場合リンデンドルという仮想貨幣)を交換するということは、セカンドライフそのものがお金を生むためには、ユーザにどんどんリンデンドルを買わせなければいけません。
売り手のユーザは自分専用の土地を維持したり、テクスチャをアップロードしたりするたびにお金がかかりますが、それ以外の価値はユーザ自ら価値創造して提供します。
ここにいくつかいびつな点があったことは否めません。
当初セカンドライフは家を持ったり、店を開いたりといったことでユーザが現実の収益を上げるようなイメージだったと思うのですが、だんだんとサービス業のような職種が生まれたり、発展していくにつれて、物販そのものでは実はなかなか(リンデンラボが)お金は取れないという現実に直面します。
そこで土地代として、サーバホスティング料を作り手のユーザから徴収するのです。このモデルはASPとして考えるとうまくいきそうな気がします。しかし絶対的にサーバの処理性能が低すぎるので、一日に売れるアイテムの数も限度があります。
さらに、LSLという独自スクリプト言語です。
この言語に関して言いたいことは山ほどありますが、とにかくできることが少ないということに尽きます。
たとえば車や飛行機を簡単に作れるのはいいのですが、車のようなものをゼロからプログラムしようとすると、とてつもなく大変になるし、おそらく現実的な実行時間で動作させるのはきわめて困難です。
物理シミュレーションと変形を実に巧みに使って多足ロボットのようなものを動かしている人がいらっしゃいましたが、逆にいえばそれが限界です。
どこまでがんばっても車の性能は一定です。カローラの形をしていてフェラーリと同じスピードの車が誰でも簡単に作れてしまいます。
誰でも簡単にその環境で最高性能のものが作れるということは、競争ができないということです。
「作ってみたぜ。わーい」
というレベルでは楽しいでしょうが、そもそもセカンドライフの収益源はユーザによる価値創造にあるはずで、この価値創造の糊しろがあまりに少ないと、あっという間に飽和してしまいます。
グランツーリスモのプログラマでも、プログラミング歴一ヶ月の素人でも、作る車の性能に違いがないとしたら、誰がまじめに車をつくって売ろうとするでしょうか。
そういう意味ではリンデンラボという会社名が暗示するとおり、セカンドライフというのは壮大な社会学的実験であったと考えるほうがよさそうです。
イメージとしては、Smalltalkのようなもので、実用的にはあまり使われなかったけどその思想や概念は多くの言語やOSに影響を与える、みたいな存在です。その意味では今セカンドライフに触れている人はラッキーと言えるかもしれません。
とはいえ、これも時間をかけてLSLやセカンドライフのサーバシステムそのものをバージョンアップしていけば、解決できないものではなかったはずです。所詮はシステムのポテンシャルなんて、互換性を持たせてバージョンアップすればいくらでもあげることができます。
僕が個人的にとんでもなく凄いアーキテクチャだと思っているシステムはDirectXとFlash(ActionScript)なのですが、どちらもバージョンアップするたびにシステムの根本概念がガラリと変わってしまいます。
特にFlashの変わりようは別の言語としか思えないくらいに変わります。
しかしどちらも、確実にすばらしく良いものになるうえ、過去のバイナリとの互換性があるので、すんなりと移行されるのです。
そういう意味では、現バージョンのセカンドライフが極めて荒削りであっても、この世界そのものが失敗する根本的な要因にはならなかったと言えます。
ではもうひとつの要素、「急速に普及させすぎた」とはどういうことでしょうか。
僕はなんとなく、これが根本的な原因ではないかと思っています。
サービスにはどんなものにも「旬」の時期があるのです。
もしくは「熟成」とでも言えば良いでしょうか。
僕は少し前まで赤ワインが嫌いでした。
タンニンとかいうんでしょうか、あの苦味というか、ずっしり重たい、まるで血液を飲んでいるかのような澱の感じが苦手で、少し我慢して飲んでいたのですね。
ところがその飲み方がそもそも間違っているということを最近教えていただきました。
熟成された重いワインというのは、そもそも飲む前に空気にいちど触れさせて飲むべきらしいのです。実際、そのようにすると赤ワインは独特のまろやかな風味になり、とんでもなく美味なものになります。
あれだけ嫌だった澱も、風味として楽しめるようになるのです。逆に若い赤ワインは熟成が不十分で物足りない気分になります。
同様にサービスにも最もおいしい時期というか、熟成された時期があるはずです。
若いサービスを好む人というのは、業界人や技術者、いわゆるイノベーター層と呼ばれる人たちです。
熟成されたサービス、つまりより一般の人に対して使いやすくなったサービスとなるまで、十分に時間を掛ける必要があります。
ましてやセカンドライフほど高度で複雑なものなら、その熟成にはもっと長い時間が必要だったはずです。
イノベーター層の人たちはそのサービスが未完成に見えたり、しばしば矛盾を起こしたりしてもさほど怒ったりはしませんし、そのサービスのもっている可能性や問題点について早い段階で的確なアドバイスを出してくれます。
そういう要素をうまく汲み取り(すべてではなく、うまく選別する)、サービスを熟成させていくと、あるタイミングで「これはみんなが使うだろう」というものになります。これがチャンスのときです。
ネットワークゲームではβテストを敢えてクローズとオープンで分けます。
なぜかというと、いきなりすべての人に開放してしまうと、もののよくわかってない人、若いサービスに対して寛容でない人がやってきて「このゲームは駄目だ」と判断して二度と帰ってこなくなってしまうからです。
ユーザというのきわめてシビアで、ひとつのサービスを始めるまでのハードルをどれだけ低くしても、なに気に入らないことが一度でもあれば永久に戻ってこなくなります。
マーケティングの人たちは人を集めることばかりに熱心になりますが、集めることよりも去っていかないようにすることのほうが遥かに重要なのです。
携帯コンテンツがいい例ですが、携帯コンテンツではたくさんの人を集めるよりも一度会員になった人をできるだけ長く滞在してもらう仕組みを作るほうが遥かに高い収益性を実現します。
というのは、興味の無い人というのはどれだけ宣伝を打ってもやってこないですし、やってきたとしても、わけがわからないまま出て行ってしまうからです。そうして出て行った人は、同じサイトの宣伝を見ても、絶対に二度と戻ってきません。「このサービスをやってみよう」という好奇心は既に満たされていて、しかもそのサービスは自分の好むものではなかったという結論も出ているわけです。
つまり準備が不十分なままお客さんを受け入れるべきではないということです。
これがレストランならもっとわかりやすいかもしれません。初めていったレストランで厨房がめちゃくちゃ汚くて、机もろくに片付いてなかったら、まあ二度と行かないですよね。
通勤路にあってときどきリニューアルしたりしていたとしても、「あの店はとんでもない店だ」という意識があれば絶対にその店には行きません。
僕も家の近くにカレー屋さんができたときにいちどだけご飯を食べにいったのですが、いくらカツカレー卵のせ三人前を注文しても全く覚えてもらえず、チェーン店の安カレーなのに40分も待たされた挙句、「卵だけ」が出されたときには目が点になり、二度と言ってません。たぶん店員さんが日本語がよくわからなかったんでしょうけど、ここは東京ですからね。見ず知らずの店員さんに日本語のレクチャーをしてあげる義理はありません。店長さんらしき人がでてきて謝ってくれたのですが、さらに30分待った挙句、三人で来ているのにふつうのカレーライスがひとつだけ出てきたときにはさすがに店を出ました。接客というレベルじゃない。
いまでも毎日前を通るとき、お客さんは入ってるみたいですから、きっと今はさすがに改善されたのでしょうね。あの状態じゃとてもカレーライスが食べれる感じじゃありませんでしたから。でも、最初の印象があまりにも最悪だったので、やっぱり二度と行かないだろうなと思います。
セカンドライフに関していえば「やってない人」と「やったけどやめた人」、「やってる人」という三種類のユーザ状態があり、「やったけどやめた人」はよほどのことがない限り二度と「やってる人」にはならないのだろうということをもっと意識する必要があったのだと思います。
これはでも凄い教訓だなと思うんですね。
たとえばこれはセカンドライフだけではなくてrimo.tvにも当てはまると思うのです。
alexaをみると、rimo.tvのリリース時のアクセス数は本当に異常なほど凄いのに、あっという間にアクセスがなくなります。これは要するに「なるほどこういうものがでたのか」という好奇心を満たしたあとは、もう二度とそのサービスに戻る必要性を感じないユーザが圧倒的多数だったということでしょう。
ちなみにこれはサイトスニーカーにもいえます。
もともと僕は携帯向けフルブラウザでビジネスをするつもりがほとんど無かったので、サーバの電源さえ入れておけば誰かが使うだろうと思って、サイトスニーカーというサービスを無償でリリースしてみました。
ところがやってきたアクセスは天文学的なもので、あっという間にサーバがパンクしました。
サーバがパンクしたときにやってきたお客さんは、もう二度と戻ってこないのですね。
そんなわけで、登録ユーザ数だけ数えると50万件くらいあったにもかかわらず、酔狂な大学生のアルバイトがやってきて「俺がサイトスニーカーを改善したい」というので、彼に任せてより機能を強化したバージョン2は、5万件くらいしかダウンロードがない。実に1/10ですよ。これってとてつもない差だと思います。
要するに「なんだよ、サーバ落ちててちゃんと動かないよ。もういいよ」と思って使用をやめた人が45万人くらいいらしたわけですな。当時はなんというか、携帯フルブラウザバブルみたいなもので、とにかく珍しいからタダならとびつく、みたいな時代だったのもありますね。
それに比べると、UBiMEMOって凄く地味で、いろいろな事情があって二年くらいバージョンアップはせずにバグフィックスだけで対応しているのですが、もうずっと使ってくださっている方とかがいらっしゃるわけです。退会率が異常に低く、定着したユーザ様の生活の一部になっている。こういうものは宣伝するとリニアに売れていきます。実際のところ、利益として考えてもサイトスニーカーより何倍もの利益を生んでいます。ユーザ数は1/10に満たないというのに、です。
お金の問題というのも実は非常に難しくて、セカンドライフはお金を集めすぎたのではないかと思う部分もあります。
とくにベンチャー投資家からお金を集めてしまうと、上場へのプレッシャーからとかくサービスの普及や宣伝を急げ急げといわれがちで、どれだけお金を使ったかということが、「仕事をしてる」という尺度になっているきらいがあります。
すると宣伝とかはお金を使いやすいので、もうバンバン、湯水のように宣伝費を使うことになります。しかしサービスが未完成なので宣伝すればするほど逆効果です。潜在敵対顧客をバンバン産んでいるだけでドツボにはまっていったように思います。そしてこのジリ貧になったところでコア技術者の解雇。技術ドリブンの会社だという印象だったのですが、もっと良い技術者を確保できたか、それとももっと抜き差しならない事情があったのか定かではありませんが、とにかくいろいろな意味で不幸な要素が重なっているのは間違いないように思います。サービスを作るときにお金が本当にかかることは実に稀です。そのサービスが本当に習慣付けられるようなものになるか、ビジネスモデルを構築できるか、という実験を最小の予算でやってみたほうがずっといいような気がするのです。
どうもベンチャー企業のなかにはお金さえあればなんとでもなる、というマインドでお金を大量に集めているとしか思えないケースがあり、確かに大量にお金を集めているのですが、お金で買えるものって意外と少ないのです。たとえば歴史は買えません。本当の名誉も買えませんし、自分がもとの素質以上に賢くなることもできませんし、儲かる方法を買うこともできません。異性や同性からみて魅力的になることもできません(カリスマ性というやつです)。お金がいくらあっても、他人の人生を思い通りにできることは稀です。実際、大企業の悩みは、お金をいくら積んでも優秀な人材が来てくれないことが多かったりします。
恐ろしいことに、僕の知っている会社で、黒字化する前に10億単位の資本金を獲得したベンチャー企業は全て5年以内に事業撤退しています。むしろ資本金100万円の確認有限会社や合資会社みたいなところのほうがよほど堅実に経営していて、今は株式会社に改組したり、黒字経営を続けている場合もあります。要するに重要なのは資本の額ではなく、資本の使い方なのです。当たり前です。資本の額が多い人が商売をやって100%勝利するのならば、銀行が商売をやるのが最も確実だからです。でも銀行は決してゲームを作ったり、OSを作ったりしません。銀行は自分で商売をしない代わりに誰かを働かせて儲けるという商売です。銀行よりも賢くお金を使わなければ、そもそも銀行に預けておいて金利をもらっていたほうが得、という本末転倒なことになります。
お金をたくさん集めてしまうと、とにかくそれを使うプレッシャーから冷静な行動がとれなくなるというのは見過ごしがちですがとても重要な問題だと思います。同じことを以前、Twitterの開発者の方が言ってましたね。
話が散逸してしまいましたが、まとめると、僕がセカンドライフ(やそれに関連して思い出したこと)を見て、教訓にせねばと思ったのは以下のことです。
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サービスは小さく生んで大きく育てよう
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多くの人の注目を浴びることよりも、やってきたユーザの習慣の一部になるサービスを目指そう
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金さえあればなんとでもなるという考え方でサービスを作るのはやめよう。むしろお金を使わないで素晴らしいサービスを作る方法を考えよう
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ユーザ同士でお金をやりとりする方式は今後も増えていくかもしれない
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ユーザに与えられたシステムの自由度を高めつつ、入門者の敷居を下げる工夫が必要だろう
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本当に回線が細いことが理由で普及しないのなら、そももそ回線が太くなった時代が来るまで一般公開は控えるべきだったかもしれない。存在しないくらい高性能なGPU用に作られたゲームは普通販売されない。たとえばUnreal Engine3は開発当時のGPUではまともに動作しなかったが、GPUの処理性能が上がっていくことを前提に開発され、実際に処理性能が追いついてきたときに初めて製品として供給された
まあ当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、自戒を込めて
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