プログラマが好きだからやってるんだ、と言って欲しい。そうであって欲しい
優秀なエンジニアは「入社時のスキルを問わない会社」には就職してはいけない
いや全くその通り。というか、僕はそんな会社が存在しているなんて言うことをかなり最近になってから知ったので凄くショックでした。
でも確かに、僕も大学時代の情報工学科の同級生がどれだけプログラムを書けたかというと疑問。というかプログラマとして就職しているけど、本当はプログラムなんか書いてないんじゃないか、とすら思うこともあったり。
ただ、大学でも最低限のことは習うし、プログラミングの課題もあるので、プログラマになれなくはないと思いますが、単にプログラムを書けるのだということと、その人がプログラマ的であるということの間にはなにか超えられない壁のようなものがあるような気がしてならないのです。
UEIはもちろん、プログラミングのスキルが無い人はどんなにいい大学を出ててもプログラマとしては採用しません。教えてる暇がない、というのもそうだけど、そもそも好きでもないことに人生を賭けるのは間違っていると思うので。
確かに好きでもないのに得意なものというのはあります。
コナン・ドイルにとっての推理小説はそうでしょう。
しかし彼は推理小説家であるかどうかという以前に、作家なのです。
彼が好きだったと言われる歴史小説を書くということも、広義の意味では作家ということです。
たとえばプログラミングそのものが一番ではなく、例えば二番目に好きなことだったとしても、それはまだ許せなくはないのです。しかし、プログラムが好きでもなんでもないのにプログラマになりたいというのは、もはや何が目的なのか解りません。
でもこれも、プログラマという言葉が「マイコン愛好者」という意味を持っていた頃の、要するに古き良き時代のマイコン野郎だけが持ってる言語ノスタルジーに過ぎないんでしょうねえ。
そう考えるといろいろ悲しくなります。
でも好きでやってる人と好きじゃないのにやってる人はもう圧倒的、完全、絶対的に違いますよ。スキルそのものもそうですし、新しい技術への適応性とか、なにもかも違います。
だから結局、好きなことこそ才能なんだと思うのですよ。
好きなことで食えないというのは、才能がないんです。本当は好きじゃないんだと思うんです。
例えば、知り合いで俳優になりたい、俳優という仕事がすきだ、という人が居ますが、その人の演技はビックリするくらい下手で、練習してるのかと思ったら、ろくに練習にいってもいないんです。仕事とか、ステージとか、そういう「俳優っぽい」真似が好きなだけであってコスプレしてるのと変わらないんです。
子供が「私ピアノやりたい」って言うから親は通わせたりするわけですが、いざレッスンに行くと弾かずに遊んでいる。
こういう人は「ピアノをやってる私」が好きなだけでピアノを弾くことが好きな訳じゃないんです。だってピアノを弾く環境が用意されているのに弾かないんですからね。
「ピアノが好きな人」に憧れているだけとも言えます。
そういう人と、本気でピアノが好きな人は、やっぱりぜんぜん違う。
当たり前だけど。
クリエイティブであるかどうかっていうのにも関係するんですけど、ラインの仕事ってぜんぜんクリエイティブじゃないわけです。それこそ仕様書に書いてある通りにモノを作れば終わり。みたいな仕事もいいんだけど、クリエイティブさを期待されていない訳です。
でも、本当にプログラムが好きだったら、どんなものであっても創意工夫はしたい。
たとえば仕様書が出て来たら「ここはもっとこうしたほうがいいんじゃないか?」って言ってみたい。もっと画期的で便利なインターフェースを考えついたら、試してみたい。試すから新しいものが生まれるし、改良が積み重なって本当に良いものになっていく。エンジニアってクリエイティブであるかそうでないかっていうのはとても大きな分かれ目のような気がしています。
クリエイティブなエンジニアといえば、先日行った水口哲也さんへのインタビュー記事
がやっとあがりました。
アンケートにも答えていただけると凄く嬉しいです。
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